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□for 不死蝶企画 08
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「シャヴィニョルの‘馬の糞’、クロタン・ド・シャヴィニョルでございます」

 クロードは恭しく頭を下げ、セバスチャンは得意げに木箱の蓋を開けた。

「チーズ…か?」

 アロイスはその灰色がかった、ふわふわとした表面のカビに鼻を近付けた。シャンピニオンのような癖のある香りがし、一口齧ると中身が栗のように崩れて舌の上で溶けた。

「サンセールの丘の麓、シャヴィニョル村で作られた山羊の乳のチーズでございます」
「こいつの名前に助けられたな…」
「先日、坊ちゃんがフランスの取引先から贈られたものを気に入ってらしたので、取り寄せたのですが…まさかこのようなところで役に立つとは思いませんでした」

 アロイスは唖然として、チーズの塊の並んだ木箱を眺めた。

「ふ…あはははっ!」

 アロイスは哄笑して、安堵しているシエルのほうを見た。

「…いい執事を持ったね、シエル」
「…フン」

 セバスチャンは木箱の蓋を閉め、二人に頭を下げながら言った。

「では、ディナーの支度をして参ります。本日のディナーはクロタン・ド・シャヴィニョルのサラダ、子牛のテリーヌ、じゃがいもと人参のポタージュ、香草を添えた鯛のポシェ、ターキーのオレンジ風味、蜂蜜のロールケーキでございます。クロードさん、手伝っていただけますよね」
「…よかろう」

 セバスチャンは再びシエルと視線を交わして、微笑した。

 森の奥では張り終えた網の中心で、蜘蛛が長い手足を伸ばして夜の風に揺れていた。その横を一匹の蝶が旋回し、空高く飛び去って行った。



「旦那様、大丈夫でございますか」

 屋敷に向かう馬車の中で、クロードはぼんやりと手触りのよい絹のクッションに頬杖をつく主人に声をかけた。

「ん…ああ」

 浪五郎の芸をどこで知ったのか、アロイスは思い出していた―それを見たのは自分ではなく、前トランシー伯爵であることも。

 いつもの情事の後、古い劇場のパンフレットをナイトテーブルに並べて、自分が見たオペラやサイドショーの話をしていた彼。好んだのは専ら残酷な物語や見世物だったが、何故かパンフレットの中に日本帝国一座の絵入りのものが混ざっていた。彼にとっては、珍しい東洋の人間そのものが興味の対象だったのかもしれないが、それはともかくとして―アロイスはけだるい身体を横たえたまま、その話を聞いていたのだった。自分も、この蜘蛛の手を逃れて、自由に舞う蝶になれる日がくるだろうか、そう思いながら。…

「思い出すことも、なかったのに…何故か昔より、記憶がはっきりしてるんだ」

 クロードはアロイスの横に座り直すと、壊れ易いものに触れるようにそっと、その肩を抱いた。

「貴方は今でも、囚われておいでです。旦那様」
「クロード…」
「ですがそれは前トランシー伯爵にではない。そして、ご自分の暗い記憶にでもない…貴方は、そこから這い出して来たのですよ。ご自分の力で」
「…」
「貴方を抱く蜘蛛はただ一人、私のみです」

 アロイスは目を閉じて、契約印の刻まれた舌を白い歯の間から覗かせた。
 クロードはその契約印に舌を絡め、いつまでもアロイスを抱いていた。



「クリスマスでもないのにターキーだなんて、珍しかったな。ロールケーキは美味しかった。もちろん、クロタン・ド・シャヴィニョルも」
「恐れ入ります」

 シエルは夏物の寝間着に袖を通し、小さな欠伸をした。

「坊ちゃんは、ターキーや蜂蜜に眠くなる成分が含まれているのをご存知ですか?」
「…知らなかった。そうなのか」
「ええ。催眠、それに精神を安定させる効果のある物質が含まれているそうです。ターキーをおかわりされたアロイス様は今頃、クロードさんの胸でお休みになっていることでしょう。ふ…クリスマスの食事のあと人々が幸せな気分で眠りに就くのは、それが理由なのかもしれませんね」
「神の恵みのおかげではなく?お前らしいな…」

 セバスチャンは寝間着のボタンを留め終えると、素早くシエルの唇を奪い、紅い瞳を煌めかせて言った。

「ええ、私はあくまで、執事ですから」
「…!」
「さ、坊ちゃんもお休み下さい。あとで夜這いに来て、可愛らしい寝姿をたっぷり愛して差し上げます。淫猥な夢魔のように…ね」


END

(2011/12/17)

不死蝶企画終了!
応援して下さった全ての皆様に、心から御礼申し上げます。
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