Rose branches

□Rose branches -32
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 事故を起こす、と言った癖に、セバスチャンは右脚を少し持ち上げて、わざとシエルの手が内側に滑り込むよう仕向けた。シエルは慌てて手を離すと、シートベルトを掴んだ。

「古代エジプトでは、来世での復活が信じられていた…お前はこの間、僕とロンドン・アイに乗ったときに生まれ変わりの話をしていたな。そういう話を…信じているのか?」
「……」

 セバスチャンはしばらく答えなかった。フロントガラス越しに見える空が、刻々と藍色の度合いを深めていった。

「坊ちゃんとは…前世でお会いしたのではないかと」
「フン。ミイラになった猫とも、前世で会ったのか?」
「坊ちゃんの前世ですよ。私は一度も死んだことがありません」
「おかしなことを…僕だって、死んだことなんかない」

 車は熱い風を切って、駐車場へと吸い込まれていった。セバスチャンが開けたドアから足を下ろすと、むっとする湿気が夏用のジャケットの上からまとわりついた。

 ‘Club Aquarium'の看板は本来なら21歳以上の男女しか潜ることが出来ない。が、今夜はファントム社主催のパーティーが行われているため、シエルも入れるのである。社員ではないセバスチャンは、シエルの頭を悩ませていたマダム・タッソー館の土産品について提案し、それが採用されたため、労いの意味を込めて招待されていた。勿論、シエルの送迎という大事な役目もある。

「生憎だが、今夜はノン・アルコールで過ごしてもらうぞ」
「ええ、構いません」
「そういえば、お前はあまり飲まないな…僕に合わせているのか」
「ふ…アルコールくらいでは、酔えませんから。…さあ、どうぞ」

 初めてのクラブのドアを、恭しく開けてシエルを通す。シエルはBGMの洪水に足を踏み入れながら、こいつを酔わせるものがあるとすれば、何だろうかと考えた。






「プール付きのクラブとは…」

 水着に着替え、プールサイドに腰かけて水に細い脚を委ねる。

 照明がぼんやりと、小さな波を浮かび上がらせている。扉の向こうからは、アップテンポの曲と人の笑い声が聞こえてくる。貸し切りのクラブの中で更に、プールは二人だけのために準備されていた。

 腰をかがめて、かつての主人にサマー・ディライトを給仕する。

「だから、水着を持って来いと言っただろう」

 シロップを加えたライムジュースの爽やかな香りが、泡と共に口の中に広がった。シエルは再びスラックスの大腿に目を遣った。水着は、下に着ているのでもないようである。

「申し訳ありません、車内に置いてきてしまいました。パーティーのあとで、水着でプレイをするのかと」
「はぁ…!?」

 伸びてきたセバスチャンの手から逃げるように、プールの中へ身体を躍らせる。

「ぷは…」

 シエルは泳ぎが得意ではなかったが、水深は底に足がつくほど浅かった。水の匂いはSTORYの香りも、仕事のことも学校のことも、全て洗い流してしまった。しばらく身体の熱を冷ますと、別の熱が身体の中から湧き上ってくるのを感じた。

 プールサイドに近付き、セバスチャンをしゃがませる。
ジッパーを押し下げ、濡れた手でその中をまさぐる。

「…っ」

 セバスチャンは一度シエルから離れ、ジャケットとスラックスを脱いで、銀色のベンチに横たわった。




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