Rose branches

□Rose branches -33
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「お前も、人助けなんてするんだな」

 欠伸を噛み殺しながら、ロンドンの夜を眺める。来るときはセバスチャンの肩越しに見えていたオールド・ストリートの街並みを、ベントレーは無音の一瞬に変えて通り過ぎていく。

「…ちょっと、見た顔だったものですから」
「何だ、スリングビーと付き合いがあるのか?」
「いえ、付き合いというほどでは…今何をしておいでなのかも存じません。気弱な青年のほうは、招待客ではないようでしたが?」
「エリック・スリングビーは大手百貨店経営者の‘坊ちゃん’だ。迎えに来たのは社員か、悪友の一人だろう」
「恋人…かも、しれませんよ」
「何を、馬鹿な…」

 シエルは顔を赤らめて、視線を逸らした。
 逸らした先にはセント・ジョン教会の十字架が浮かび上がっており、シエルは慌てて前方を見つめた。十字架の前で、する想像ではなかった。

「来る途中、生まれ変わりの話をしましたね」
「…ああ」
「日本では、人が神として祀られることがあるのですが…」
「聖人のようなものか」
「少し、違いますね。柳田國男という学者が、神になる条件を書いています。条件は二つ、一つは、生前に高い地位に就いていたり、偉大な業績を残したりした者であること。もう一つは、非業の死を遂げ、この世に未練を残して死んだ者であること」
「非業の死…それじゃ、悪霊みたいだな」
「そういうニュアンスが強いですね。…そこで考えたのですが、卓越した能力を持つ者がこの世に恨みを抱いたまま死ぬと、神―善なる神よりはどちらかというと死神のような存在―に生まれ変わる、そうして死神になった者がまた無念の死を遂げると…」
「人間に生まれ変わる…?」
「ええ」

 耳の奥にはまだ、クラブで流れていた激しいBGMの余韻が、夜のさざ波のように響いていた。シエルはセバスチャンの言葉を胸の中で反芻したが、どんな人間が死神になり、どんな死神が人間になるのか、想像しようとすると何故かミラーボールの光の下で立ち往生していた二人の青年のことしか浮かんでこないのだった。

「まぁ、たわいのない空想でしかありませんが」
「…死神に会ったときに、聞いてみるんだな」

 シエルはそう言って、重たい睫毛を上下させた。車はちょうど、信号のために一度停車したところだった。

 セバスチャンは寂しそうに笑うと、冷房を切り、窓を開けながら言った。

「貴方を死神には、渡したくありませんね。折角…のに」

 ベントレーの前を通り過ぎるはしゃいだ声が、セバスチャンの言葉を一瞬遮った。シエルは聞き直そうとしたが、その真剣な横顔は、何故か問いかけを拒んでいる気がした。




「あ〜…」

 エリックはキャブの中で目を覚まし、自分で料金を払うと、イングリッシュ・コッカー・スパニエルのように夜気の中で頭を振った。アランに支えられながら、屋敷の門を潜る。

「もうちょっとだから、頑張って」

 暗い食堂に座らせ、ミネラル・ウォーターを運ぶ。
 エリックが飲み始めるのを確認し、バスルームへ行く。勢いよく流れ出、溜まっていく湯を眺めながら、アランは胸がどきどきと高鳴り始めるのを感じた。

 アランとエリックは以前同じ学校に通っていた。大学には行かず父親の百貨店を手伝うというエリックにたいし、アランは進学を志すが、胸の病気が見つかり、手術を余儀なくされる。手術代は高額だったが、アランの遠慮を押し切りエリックが提供した。返さなくていい、とエリックは言ったが、アランは療養も兼ねて大学進学を先に延ばし、卒業後1年間エリックの屋敷に住み込んで、昼間は外、夜はエリックの屋敷で働いて半分でも返すと約束した。

 アランは身寄りがなく、学校の寮に住んでいたためエリックと共に暮らせるのはありがたかった。
 勿論、気持ちの上でも。

 食事の準備の手伝いや掃除などを日々楽しくこなしている。が、エリックの着替えを手伝ったことまではない。

「エリック、お風呂に入ろう」
「んー…」

 酔いはだいぶ醒めたのか、手を取ると素直に立ち上がった。ゆっくりと、アランについて暗い廊下を歩く。

 なるべく見ないようにしながら服を脱がせ、バスルームに押し遣る。袖を捲り、自分も湯気の中に入る。

「…身体、洗うよ」

 エリックを座らせ、ボディスポンジに泡を含ませ肩に触れる。背中、胸、腹、脚。徐々に視線を下げていくと、どうしてもその場所が目に入った。

(…、大きいな…)

 濃いアンダーヘアより充分長いそれが、湯を滴らせながら横たわっていた。アランはわざと、内股をゆっくりとスポンジで擦った。手の甲が時折、それに触れる。
 と、エリックが目を開け、にやりとアランを見上げた。

「…気持ちいいぜ」
「な…っ」
「…お前も、入れよ」
「ええっ、でも」
「いいから。ああ…すまねぇがその前に、俺の部屋から取ってきて欲しいものがあんだけど」

 それが置かれている場所を指示すると、エリックは立ち上がってシャワーに手をかけた。

 身体の下のほうで、もう一つの心臓が跳ねた気がした。




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