Rose branches
□Rose branches -35
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「アラ、血が出てるわヨ?」
グレルの高い声に、室内にいた二、三人の死神が振り向く。
アンダーテイカーの店から戻り、何事もなかったかのようにデスクに着こうとしていたウィリアムは、はっとして自分の腕を見た。
白いシャツの袖口が、赤く染まっている。捲ると、手首より少し上に四センチほどの切り傷が出来ているのが見えた。
「タイヘン、手当てしなくっちゃ」
「いえ…結構です。貴方は自分の仕事に戻って下さい」
「あん、もう。折角のチャンスなのに」
その言葉を聞くと、ウィリアムはこれ以上ないほどの苛立ちを込めて、グレルを睨みつけた。
「…そ、そんなにコワい顔しなくてもいいじゃない!」
グレルの叫びを背に、管理課の執務室を出て医務室へ向かう。
(…貸しを作るのは、御免です)
傷はほとんど痛まなかった。ただ、赤い血と共に、何か大切なものがとめどなく流れ出ていく気がした。
―魚類の鱗はリン酸カルシウムを主成分とする真皮内部の骨格であり、その種類はコズミン鱗・ガノイン鱗・楯鱗・骨鱗の四つに分けることができる。
『いつか小生が倒れたら』
―鱗の退化した魚は、しばしば大量に分泌した粘液で体表を保護している。
『看病くらいはしに来ておくれ…ヒッヒ』
「はい、出来たよ」
「ありがとうございます」
「その傷、デスサイズで出来た傷と似ているね?」
医者はカルテに何か記入しながら、のんびりとした声でそう言った。
「……」
「うっかり誰かのデスサイズが、倒れてでもきたのかい?」
「え…いいえ、そのようなことはありません」
「そう、まあ、お大事にね。化膿止めも出しておくから」
―楯鱗は、サメなどの軟骨魚綱で特に発達…
医者の趣味だろうか、魚類に関する文献が開いたままデスクの上に置かれていた。ウィリアムはそこに書かれた鱗の説明に目を遣りながら、捲ったシャツを元に戻して立ち上がった。
ウィリアムは昔ここで、アンダーテイカーと約束を交わしたのだった。新人だった彼の危機を伝説の死神が救い、気が付くと医務室に運び込まれていた。目を覚ましたウィリアムの上で、光の中に跳躍した魚の鱗のような銀髪が煌めいていた。
約束を果たす機会のないまま、アンダーテイカーは引退した。相棒のデスサイズと、一羽の鳩を携えて。
(…まさか)
翻弄されていたとはいえ、自分にそんな隙があったとは思えない。
ウィリアムは包帯を眺め、その傷がどこで出来たのかを思い出そうとした。血は止まっていたが、何かが大量に流れ出たような喪失感は、まだ続いていた。