Rose branches
□Rose branches -35
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「ん…」
いつもと同じ時刻に目を覚まし、スーツに着替える。
昨夜は何故か、深夜まで眠気が訪れなかった。いつまででも本を読んでいられそうな気がしたのだが、いい加減にして切り上げないと明日に響くと思い、起床時刻の四、五時間前に電気を消してベッドに入ったのだった。
眠らなくても、身体を横にしていれば休息にはなる。そう信じて目を瞑っているうちに、いつしか寝入っていたようである。
鞄を持ち、部屋を出ようとして、時刻がいつもより早いことに気が付く。
(そういえば…)
キッチンを覗くと案の定、朝食べようと思っていたパンと卵が残っていた。
(食事を、忘れるなんて)
腹は空いていなかったが、食べなければ仕事に差し支えるだろう。ウィリアムは鞄を置くと、パンをトースターに入れ、フライパンを取り出した。油を引いて、卵を割る。
卵の焼ける匂いを嗅いでも、食欲は湧かなかった。これが口に入れるものだろうかと、不思議な気分だった。
「……」
食べる気のしない朝食は重たい。
古代ローマの貴族は孔雀の羽を喉に差し込み、わざと吐いて美食を楽しんだという。だが、吐くほどの物が胃に入っているわけでもない。
脳裏から孔雀の羽が消え、代わりに寒々とした鳩の脚が浮かんだ。
喉を押さえ、包帯を押さえる。
鱗に覆われた鳥の脚。…
「おや、意外と早かったねぇ、ヒッヒ」
「…何をしたのです」
憔悴しきったウィリアムがアンダーテイカーの店を訪れたのは、三日後の午後だった。
壁伝いにふらふらと二階へ上がり、寝室へ入る。
白い鳩は籠の底で、リヤドロの飾り物のようにうずくまっていた。震える手で籠を開け、脚の爪を確かめる。鎌のように曲がった爪はどれも、薄いピンク色をしていた。
「よく、気が付いたねぇ?」
そう言って、ウィリアムの背後から、すっと手に乗せたものを差し出す。
それは爪より一回り大きく、鎌状で薄いピンク色をしていた。恐らくデスサイズと同じか、似たような性質を持っていて、鳩の爪に被せて使ったのだろう。
「どの部分を持って帰るかは、お楽しみだったけれどねぇ」
「返して、下さい…」
「何を?」
「私の…欲望を」
睡眠欲、食欲だけではない。
あらゆる欲求がウィリアムの中から失われ、全身が水のない場所に打ち上げられた魚のように干からびてしまっていた。理性と意思の力で生活を保つのも、限界だった。
魂の一部分だけを狩る。
そんなことが、できようとは。
「君の欲望は、ここだよ」
アンダーテイカーは目を細めて、紅茶の缶を取り出しティーポットに中身を空けた。ウィリアムは慌てて中を覗き込んだ。ダージリンの茶葉の中に、赤い花弁のようなものが混じっていた。
掬い取ろうとした手を、アンダーテイカーが掴む。
「そのままじゃあダメなんだよ、ヒッヒ」
アンダーテイカーはそれを熱湯で丁寧に蒸らすと、ビーカーに注いで差し出した。まるで毒林檎を、あるいは尾を足に変える飲み薬を渡す手のようだった。ウィリアムは恐る恐る、湯気の立つビーカーに渇いた唇をつけた。
「う…」
「途中でやめないで、全部」
「…ん…うう…」
決して美味しいとは言えないそれを、全て飲み干す。
頬が熱を帯び、動悸が激しくなる。
「うう…」
適切に処理していた欲は、さほど影響が現れないようだった。が、その存在さえ忘れていた欲は。
身体を駆け巡るそれの大きさに、ウィリアムは気を失い、アンダーテイカーの腕に倒れ込んだ。