Rose branches

□Rose branches -37
2ページ/4ページ


「ホームシックになってるんじゃないかと思って」

 馬鹿なことを、と思った。

 この土と月の匂う天幕で、まだ三度しか夜を迎えていない。揺れる魂達はかろうじてまだ、肉と陶の器の中におさまっている。

「それに、オレが恋しいんじゃないかなと」

 振り向かない横顔に、強めのカードを投げる。冷たすぎる空気の中では溶けない言葉だと、わかってはいた。病、なのは自分のほうかもしれないと、ロナルドは思った。

「何を、馬鹿な…」
「でも、ここの食事よりはウマイでしょ?」
「…食事のことなどで、音を上げてはいられませんから」
「サトクリフ先輩ならすぐ、ゴハンがマズいシャワーが冷たいベッドがカタい!って言いそうですよねぇ。先輩は意外とタフなんスか?そーゆートコ」
「気持ちの問題です」
「さすがっス。あ、スープもどうぞ」

 白いマグカップから立ち上るポタージュ・パリジャンの湯気が、狭いテントの空に吸い込まれていく。中には二段ベッドが置かれていたが、上段はまだ空いていた。数日後にあの『害獣』と同室になろうなどは、知る由もない。

 不機嫌な横顔を続けながら、それでも、食事を淡々と口に運び続ける。新人の後輩が差し入れを持ってテントを訪れたのは、ウィリアムが『ノアの方舟サーカス』に潜入を始めてから、四日目の夜更けだった。素っ気無い態度を取ってはいるが、粗野な食事しか口にしていなかった身にローストビーフのサンドイッチ、キッシュ、ポタージュ、果物はありがたかった。ホームシックになっていたわけではないが、少し、『ずれ』のようなものを感じていたのは確かだった。

 ずれ、歪(ひず)み、隙間。 

 陶製の手足を持つサーカスの団員は、それらを解消するためにドクターのいるテントを訪れる。だが、歪みが生じているのは断端と義肢の間だけではない。魂と身体が恐らくは、時折齟齬を起こすのだろう。練習の合間、演目の合間に、彼らはそれを癒している―同じ『舞台』に立つ、仲間とのつながりの中で。

 自分とこの世界との接触の隙間を埋めるものは、仕事―魂を調査し、狩ることである。死が、デスサイズが死神と人間とのインターフェイスだという言い方は、おかしいだろうか?高枝切り鋏型のそれを持って綱渡りをしながら、このデスサイズで心のバランスもとっているのだとよく思う。それは協会の中にいても、そうなのかもしれなかった。

「全ては、魂を正確に狩るためです」

 空のマグカップに残る温もりを感じながら、ウィリアムは小さな声で呟いた。

 ウィリアムが食事を終え、一息ついたのを見て、ロナルドは綺麗なナフキンで包んだカクテル・グラスを二つ取り出して簡易テーブルの上に並べた。

「アルコールまで、持ってきたのですか?」
「むしろ、こっちがメインですよ」

 そう言いながら嬉しそうに、手にしたボトルの中身を注ぐ。熟れたオレンジのような色は、赤ワインの色ともクレーム・ド・カシスの色とも違っていた。

「何です、これは…」
「ドライ・ベルモット、スイート・ベルモット、デュボネ、それにオレンジジュースです」
「デュボネ」

 グラスを鼻先に近づけたまま、ウィリアムはその名前を繰り返した。

「では、アフター・ディナー・カクテルではなく、アペリティフでしょう」




次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ