Rose branches

□Rose branches -10
1ページ/4ページ



「…あれ、何かいる、にゃあ」

 ある夏の午後だった。
 頭まで隠れる覆いのついた服を着て、注意深く、だがのびのびとした気分でバルモラル城の庭を散歩していた半分猫のグレイは、2m程先の陽だまりの草がかさかさと動いているのを見て、小さな足を止めた。

 バルモラル城は1390年にディー川沿いの緑豊かな荘園地に建てられた灰色の尖塔を持つ古風な城で、19世紀半ばからは王室の別邸として使用されている。グレイは「さらわれる前に住んでたところみたい」とこの城を気に入り、フィップスから日の高いうちだけ散歩してもよいという約束を取り付けていた。

 背の高い草をかき分け、手を差し入れる。指先がふわふわとしたものに触れた。

「にゃあ、小鳥…」

 小さな掌の上に乗せて、まじまじと眺めた。丸みを帯びた腹部は赤土のような色、背中の羽は黒く、頭部はグレイの瞳よりやや濃い灰色の羽毛に覆われていた。小鳥はすっかり怯えて、白い手に細い爪を立てていた。薄い瞼は目まぐるしく開閉し、どんな危険も見逃すまいとしているかのようだった。

「きれい…怖くないよ」

 グレイはそっと、その背中を撫でようとした。

「何をしていらっしゃるのです」

 突然背後から知らない声が聞こえ、グレイは慌てて手の中のものを隠して振り返った。

「誰…」

 黒の燕尾服と柔和な表情は紳士的な印象を与えているが、そもそも人に見つかること自体が好ましくないのである。グレイは緊張し、ズボンの中に隠した尻尾を膨らませて、後退った。

「失礼致しました。私、ファントムハイヴ家の執事、セバスチャン・ミカエリスでございます」
「ファントム…ハイヴ」

 その名前は、知っていた。グレイはセバスチャンの瞳をじっと見つめたまま、自分の名前を告げた。

「これはこれは、突然のご無礼をお許し下さい。女王陛下の付き添いで、避暑にいらしたのですか?」
「う…ん、えと、秘書武官のチャールズ・フィップスと一緒に…お前は?」
「私は主人と共に、ロンドンから今朝この近くの別荘に参ったのです。失礼ですが、先程から手の中に何を隠しておいでなのですか?」

 そう言うと、セバスチャンはグレイに近付いた。

「あっ…」
「アトリの仲間のようですね。羽根が傷付いているようですが…」
「ぼ、ボクがやったわけじゃ…」
「分かっていますよ」

 セバスチャンは跪いて微笑むと、グレイの手を両手で包み込んで優しく言った。

「よろしければ、私と共においで下さい。小鳥の傷を治して、貴方にもいいものを差し上げましょう」






「う…」

 知らない部屋。調度品はどれも上等なのに、何故か寒々とした部屋。

 壁は優雅なペールグリーンではなく、重苦しい灰色で、黒々と描かれた天井画の恐ろしさに、思わず目を背けた。

 テーブルの上に置かれた金色の籠の底で、城の庭で拾った小鳥が首だけ動かしてうずくまっていた。

「失礼致します」

 シルバーのトレイを捧げ持ち、セバスチャンが重たげな扉の奥から現れる。

「ここは…ファントムハイヴの?」
「別荘でございます」

 グレイははっと両手で耳を押さえた。起きたときに覆いが取れてしまったらしく、ふさふさとした耳があらわになっている。

「クス…ご心配なさらなくても、大丈夫ですよ。執事の口の固さは、絶対です」

 立てた人差し指を、口の前に翳す。

 グレイはなおも警戒して、大きな目を光らせていたが、トレイの中を覗くと警戒心を解き、嬉しそうな顔をした。

 鳥籠を乗せているのとは別のテーブルを引き寄せ、トレイを置いて、花柄のカップに多めのミルクを注ぐ。香り高いアッサムを注ぎ、砂糖を混ぜて、甘いミルクティーに仕上げる。

 グレイは一口飲んで幸せそうに口元を綻ばせたが、セバスチャンが「お味は如何ですか?ニャールズ様」と声をかけると、尻尾を膨らませて睨んだ。

「にゃあ、ボク、チャールズだもん!」
「さようでございますか、にゃあ」
「フィップスと二人でWチャールズ、にゃあ!」
「Wニャールズ様ですか」
「違うもん!!」

 グレイはそっぽを向いたが、セバスチャンが大きなモンブランを取り分けて差し出すと、ちらりとそちらを見た。

「ふ…失礼致しました、どうぞ、お召し上がり下さいませ」

 カップを置いて、フォークを手に取る。白い粉砂糖のかかった栗のクリームを掬い、小さな舌に乗せる。

「おいしい。…ボクの名前はチャールズだけど」
「最高級の栗を使用したモンブランでございます。白いお山のような耳をお持ちの貴方様のために作りました。人間と同じものをお召し上がりになっても、大丈夫なのでしょう?」
「うん」

 一心にケーキを口に運ぶグレイを眺め、カップに新たなミルクティーを注ぐ。

「嗚呼、先程フィップス様に、貴方様をお預かりしている旨ご連絡申し上げたのですが…」
「にゃあ?」




次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ