Rose branches

□Rose branches -16
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「今年は、タイヘンだったよねぇ」

 作り終えた雪だるまが、窓の外に並んでいた。セバスチャンはガラスについた水滴を拭き、銀のワゴンを押しながら、フィニ達が談笑している暖かい厨房を出た。

「このお屋敷では、大変なことなんて日常茶飯事ですだよ」
「違いねェな」
「ほっほっほ」
「バルドは何かというとおっそろしい銃火器を持ち出すし…」
「俺のせいかよ!」
「もー、そういうことじゃなくて!」

 椅子から降り、セバスチャンが拭いた窓の前に立つ。ちょうど雪だるまの間に並ぶ形で、手を腰に当て三人の顔を見回した。

「忘れちゃったの!?坊ちゃんが殺人犯だって疑われて、タイヘンだったじゃない!!」

 それを聞いたバルド、メイリン、タナカは、クレーム・アングレーズを掬う手を止め、大きく頷いた。

「セバスチャンさんがあんなことになって…目の前が真っ暗になっただよ」
「あの白い奴は、鍋いっぱいのカリーをあっという間に食っちまうしなァ」
「ほっほっ」
「でも、ジェレミーさんのおかげで助かったよね」

 四人はそれぞれジェレミー神父の理知的な広い額や威厳のある鷲鼻を思い浮かべた。調理場の危機を救い、自分達を励まし、事件を解決に導いてくれた温厚なジェレミー。

「でも、坊ちゃんにあんなお知り合いがいらっしゃるなんて、知らなかっただよ」
「そうだな。坊ちゃんは教会に行くことも少ないしな」
「あんなにお世話になったんだから…また遊びに来たっておかしくないよねぇ?」

 フィニは少し考え込んだあと、突然顔を輝かせて言った。

「そうだよ!遊びに来てもらおうよ、ジェレミーさんに!」





「失礼致します」

 シエルははっと書類の上から身を起こし、袖の皺を手で押さえた。

「おや、居眠りをされていたのですか?」
「…ちょっと、目を閉じていただけだ」

 欠伸をかみ殺しながら、瞬きを繰り返す。書類が汚れていないのを確かめ、揃えて脇に押し遣る。

「遅くまでホフマンの『悪魔の霊酒』など読まれるからですよ」

 セバスチャンは微笑して、温かいダージリンをカップに注いだ。

 悪魔、とタイトルに入っている本を読んでいたのが気付かれていたと知り、顔を赤らめて俯く。

「…昨日は、早く切り上げたほうだ」
「そうでしたか?では、眠りが浅かったのでしょうか」

 セバスチャンはティーカップを給仕しただけで、なかなかスイーツを出そうとしなかった。シエルがワゴンのほうを見遣ると、その前に立ち塞がって、ずい、と顔を近付けた。

「スイーツはクレーム・アングレーズを添えたキャビネット・プディングをご用意致しております。…ですが、寝起きにすぐお召し上がりになるのは、お腹によくありませんね」

 シエルはむっとした表情で、セバスチャンを睨んだ。

「…なら、屋敷の中を散歩してこよう。それでいいだろう?」
「この部屋の中でできる運動も、あると思いますが?」
「…、それこそ、寝起きには相応しくないぞ」

 シエルは立ち上がって、ドアのほうへ向かった。と、「坊ちゃん!」という大きな声と共にフィニが勢いよく扉を開き、シエルの額をかすめた。

「うわっ!」
「フィニ!何故ノックをしないのですか!」

 突然セバスチャンに怒鳴られ、フィニはびっくりして肩をひきつらせた。

「ご、ごめんなさい!僕、急いでいて…」
「申し訳ありませんですだ!」

 シエルは突然のことに目を丸くしていたが、何かわけがありそうだと思い、追い返そうとしているセバスチャンとフィニの間に割って入った。

「ちょうど、下へ行こうとしていたところだ。用があるなら歩きながら聞いてやる。僕と散歩したければ、だが」
「あっ、ありがとうございます!坊ちゃん!」
「よし!みんなで散歩しようぜ!」

 シエルを先頭に、皆はぞろぞろと歩き始めた。セバスチャンは呆れ顔で5人を眺めながら、しぶしぶ一番後ろについて歩いた。深紅色の絨毯が敷かれたファントムハイヴ邸の廊下は広く、両側に何枚もの絵が飾られていて、まるで美術館に来た陽気なグループのようだとセバスチャンは思った。

「あの…坊ちゃん、ジェレミー神父のことでお話があるんです」
「ジェレミー?」

 事件以来、すっかり忘れていた名前だった。シエルはフィニが何故今ジェレミーの話をするのだろうかと、驚いて顔を見上げた。

「僕たち、ジェレミー神父に改めて、ありがとうございましたって言いたいんです」
「お見送りしたときはまだ、セバスチャンさんが死んでいると思っていたから、上の空で…」
「坊ちゃん、ジェレミー神父をまたここに招いてもらえませんか?」

 シエルはどきりとした。

 これは、まずい。

 後ろからセバスチャンの咳ばらいが聞こえる。タナカはちらりと、セバスチャンを横目で見た。

「ジェレミーは…外国に住んでいる英国人のために、各地の教会を回っているんだ」
「えっ、じゃあ、イギリスにはいないんですか!?」
「ああ」

 階段の途中で、フィニは座り込まんばかりに落胆し、大きなため息を吐いた。メイリンが傍に寄り、慰めるように肩を抱く。

「もうすぐ新年なのに、こっちには戻られないですだかねぇ…」
「信者のために遠い国で年越したぁ、頭が下がるぜ」
「ほっほっ」
「外国にも、おいしいクレーム・アングレーズ<イギリス風クリーム>はあるかなぁ?」

 それを聞いて、シエルはまだ今日のスイーツを食べていないことを思い出した。セバスチャンによって、それがお預けにされていることも。




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