Rose branches

□Rose branches -18
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北の国から

「本日の晩餐は旬の食材を使用した創作和食のコースでございます」

 やや厚手の陶の皿に並んだ綺麗な前菜を片付けると、落ち着いた白色の、小さな鍋が置かれた。

「珍しい食器だな。中は、何だ」

 中身が見えないというのは、否が応にも期待を膨らませる。普段の料理も、セバスチャンの腕が確かなのは勿論だが、銀色のクロッシュが更に格調と期待を高めているのではないだろうか。セバスチャンが蓋を開けると、シエルは身を乗り出して中を見ようとした。

「新鮮な魚介類と野菜でございます。坊ちゃんが、初めてお召し上がりになるものばかりではないかと思いますが」
「それは楽しみだ」

 幾何学模様の器に、何か柑橘系の匂いのする液体が注がれる。セバスチャンは鍋の中から白い塊を取り出し、平たい皿に載せてシエルの前に置いた。

「そちらのシトラスのソースと共にお召し上がり下さい。ポン酢、と呼ばれるものでございます」
「…これは?」

 シエルは眉根を寄せて、箸で白い塊に触れた。感触はプディングのようだが、形が些か変わっている。いくつもの、花びらのような楕円の突起。こんな生き物が存在するとは思えない。

「こんなものが、海にいるのか?」
「ウニだって、見た目と食材としての形状はかなり異なるでしょう?」
「それは、そうだが…名前は、何というんだ」

 聞いてもわからないだろうと思いつつも、聞かずにはいられない。

「北海道では―日本の一番北にある県ですが―タチと呼ばれています。その南の青森ではタヅ、岩手・宮城ではきくわた。形が菊の花に似ているからでしょうか?わたというのは内臓という意味でございます。秋田や山形、福井ではだだみと呼ばれているそうでございます」
「内臓か」

 シエルはやや納得し、ぎこちなく箸でつまんで鼻先に近づけた。

「…生臭くはないな」
「早くお召し上がりにならないと、冷めてしまいますよ」

 セバスチャンは笑って、鍋の中を掻き回した。温かい湯気が立ち上る。

「まあ、少々大人向けの食材ですから、坊ちゃんには早かったでしょうか?」

 それを聞くと、シエルはムッとした顔をして、つまんだものをポン酢の中に浸し、勢いよく口に放り込んだ。

「あ、」
「ふあっ…あふい」

 熱いですよ、とセバスチャンが言う前に飲み込んでしまう。冷たい水の入ったグラスに手を伸ばす。

「…はぁ…」
「全く…冷ますところから、して差し上げるべきでしたか?」
「こ、子供扱い、するな!」

 再び、皿の上の白いものを箸でつまんだ。しげしげと眺めながら、ちょっと見直したという顔をする。

「悪くない。いや、うまいな…これは…どの魚にもあるのか?」
「どの…そうですね、雄であれば存在します。それは、鱈の白子です」
「白子?」
「精巣ですよ」
「…!」

 シエルは愕然とした表情で、一度箸をテーブルに置いた。

 セバスチャンは可笑しそうに、唇を噛んで笑いを堪えている。

「そんなに、ショックでしたか?」
「…」
「魚卵とさほど、意味、は変わらないと思いますが」

 魚の精巣がこんなに大きいのか、とか、何てメインディッシュなんだ、とか、言いたいことは山ほどある。

「坊ちゃん、ウニも、生殖巣なのですよ?」
「…」

 愕然とした顔のまま、視線だけセバスチャンに向ける。今まで、知らずに食べていたなんて。

「また一つ、お勉強になりましたね」

 完全に勝ち誇った声に、我に返る。こんなことでいちいち驚いていては、先が思いやられる。だいたい、丸ごと食べてしまう物だって、いるではないか。精巣も卵巣も、その他の臓器も、ベジタリアンでなければ気付かないうちに日々口にしているはずである。

「…可笑しいか、人間はそんなものまで食べるのか、と」
「とんでもございません」

 セバスチャンは真顔になって、一度礼をした。

「生き物を無駄なく食する…魂だけいただく我々から見れば至極、優しいですね」
「ふん…」

 シエルは再び、白子を口に運んだ。甘くない、濃厚なクリームで出来たようなとろりとしたそれは、口の中で柔らかく溶け、喉を温めた。

「おいしい。それに、身体が温まる」
「雪深い北国には、寒さに堪える知恵も寒さの中で生きる美味しさも、たくさん伝わっているのでしょうね」
「雪国からの贈り物か…」

 きらきらと光る雪の中で暮らす遠い国の人々を想った。イメージは厳寒、というより、暖かさをもった光景として、心の中に残った。

「…おかわり」
「お野菜に致しますか」
「白子だ。精巣というからには、精力がつくんだろう」

 平然と言ってのけたシエルとは対照的に、セバスチャンはつんのめって鍋の中に倒れ込みそうになる。

「お前も食べろ」
「坊ちゃん…?」

 完全に、何か調子が狂わされている。シエルを見ると、湯気の向こうにやや赤くなった顔が見えた。

「いえ、私は結構ですよ。人間の食べるものから栄養を摂るようには、なっておりませんので」
「何だ、つまらんな」

 滑らかな白子の塊を丁寧に掬って、給仕してやる。

「それに、…そちらはもう、坊ちゃんのおかげで…充填出来ておりますので、ね」



END


 

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