BLUE in the nest
□BLUE in the nest -10
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二人が木々の甘やかな香りの漂う鹿鳴館前へとやって来たのは、明治22年秋のことだった。
「日本もまぁ、良いところだな」
「左様でございますか」
良い、というのは恐らく目に入るものの珍しさや、風景ののどかさを言ったのであろう―そのころの外交については、国内外の評判の悪さたるや甚だしいものであった。逆風の中で外務大臣が辞任したのは、およそ二年半前のことである。
もっとも、シエルは賓客として夜会に招かれたわけではない。今回初めて日本の地を踏んだのは、あくまで「仕事」のため、秘密裏の話し合いのためであった。
「ここが、鹿鳴館か…」
館に入ると、濃い菊の香りが鼻腔をついた。
壁にはいくつかのハンティング・トロフィーが飾られており、それを見たシエルは、思わず吹き出しそうになった。
「いかがされたのですか?」
前を歩いていた青年が、遠慮がちに黒い目を向ける。
「…いや。あれと似たような鹿の頭を被った、ある馬鹿者のことを、思い出してな」
後ろでセバスチャンが、軽く咳ばらいをした。
青年は何か聞きたそうにしていたが、身分の高い方だから失礼のないように、と念を押されていたのを思い出し、再び燭台を掲げて歩き出した。
青年の後ろで、小さな明かりの一つ一つが光の尾を引いていた。
(イギリスでは、今何時頃だろう)
セバスチャンに問いたかったが、ホームシックだと笑われるに違いないと思い、口をつぐんだ。
三人は三人分の足音を聞きながら、黙って緋色の絨毯の上を歩いた。
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