BLUE in the nest
□BLUE in the nest -21
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手触りのよい時間はさらさらと指の間をすりぬけていった。焦燥感の上に、苦しみの上に静かに零れた。終焉の足音は鼓動に姿を変え、この身を苛む。
残った右手で注意深く櫂を漕ぐ。シエルの背後から悟られぬようそっと、水中のシネマティック・レコードを眺めた。シエルと過ごした時間は余りにも短く、淡い。
「では、坊ちゃん…」
(お怒りになるかもしれませんね)
使用人達を集め、燃えた屋敷を再建した翌日の晩。
眠っているシエルは「荷物」に違いなかったが、トランシー邸に二人で乗り込むのは当然だと思えた。シエルを守り抜いた右手に力を込め、トランクを持ち上げる。
(独りで行っても、怒るでしょう?)
いつも、一緒だったから。
窮屈だ、と自分を叱る声が聞こえたように思った。
黒い森に逃れ、トランクを開けてシエルを抱き起こす。木の根元で小さな金属音が響くと、夜を愉しんでいた鳥の声が僅かに途切れた。
細い指に奪還した指輪をはめ、思わず口付ける。
唇を離すとき、肩を抱く手が震えていた。
「…あ…っあ…」
ゆっくりと開いた、深い深い空の色。セバスチャンの口元が綻ぶ。
「…ト…ランク…?…っ、道理で…窮屈だった…」
「申し訳ありません。抱っこでは、目立ちましたので」
「気持ちの悪いことを、言うな…。何処へ…運ぼうとしていた」
「勿論、お屋敷に帰るのですよ」
「帰…る…」
シエルは微かに目を細めたが、その表情にはすぐに、強い意思が表れた。
「…そうだ。お前は僕の手足となり」
「イエス」
「僕の…復讐を果たせ」
「…イエス、マイ・ロード」
やはり…
出会ってからの記憶を、なくしてしまわれたのですね…
顔にこそ出さなかったが、言うべき言葉が見つからず、手が無意識のうちにシエルの前髪を撫でていた。契約印があることを確かめるように、幾度も白い額に触れ、その瞳を覗き込んだ。
ふと、小さな手がセバスチャンの襟を掴む。柔らかい頬が恐る恐る、その胸元に寄せられる。
「随分前から、お前を知っている気がする…」
「…」
抱き上げられても、シエルは何も文句を言わなかった。その腕の感触を、どこか懐かしく感じていた。
「帰りましょう」
「ああ」
「お前は今日から、僕の執事だ」
「御意」
「紅茶はいれられるか」
「…覚えましょう、坊ちゃんの完璧な執事になるために」
「ファントムハイヴ家の執事たる者、」
「ええ、それくらい、出来なくてどうします…?」
†END†
(8/14頃完成)