BLUE in the nest

□BLUE in the nest -26
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・肉体と魂が可分的なものであるとして、肉体は切断及び譲渡及び複製が可能であるが、魂に於いてはそれが少なくとも人間の手によっては不可能であるということ。
・唯一可能なのは全く新しい魂の生産であること。




 パディントン駅の構内は今日も、ヒースロー・エクスプレスに乗って意気揚々とやって来た観光客や、背広の上から更に冷たい空気を着込んだようなビジネスマンなどでかなり混み合っていたが、シエルは待ち合わせについて全く心配していなかった。目印となるクマの銅像がいる限り、エリザベスとは必ず会える。商業コーナーの赤紫色のパラソルや背の高い大人達の脇をくぐり抜けて、ショッピング・アーケードへ急ぐ。

 帽子を被り、スーツケースの上で世話をしてくれる人を待つ純朴な瞳のクマの横では、何人かの男女が座ってジュースを飲んだり携帯電話を操作したりしていた。シエルは彼等から少し離れて立ち、すぐ横ののドーナツ屋を眺めた。エリザベスが来たら、一緒に何か甘いものを食べよう…。

「シエル!」

 嬉しそうな声に思わず顔を上げると、エリザベスがエスカレーターで降りてくるところだった。金色の巻き毛をリボンで両脇にまとめ、細かい花柄のワンピースを着て、キャメルのアコードバッグを持っている。段差を一歩降りるごとに、細いブーツの飾りが揺れた。

「ごめんなさい、待った?」
「いいや、ちょうどいい電車で来たんだ」

 シエルは首を振って、鮮やかな多色縞のポケットがついたリュックを右手に持ち替え、エリザベスの右に立って歩き出した。

「どこかでお茶でも?」

 女の子と一緒にカフェというのは多少くすぐったいが、そうかと言って一人では更に気後れしてしまう。エリザベスは、甘いものを堪能するにはこれ以上ないパートナーなのである。

 シエルの言葉に、エリザベスはぱっと顔を輝かせた。

「あのね!今日は行きたい喫茶店があるの。三ヶ月前に出来たんだけど、いつも満席で、ようやく予約がとれたの。ケーキもスコーンもすっごくおいしいんですって!」

 すっごく・おいしい、という言葉が、この中では一番印象深い。

「そうか、じゃあ行こう」

 その店の看板を見るまで、シエルは機嫌よくエリザベスのお喋りに耳を傾けていた。





「か…帰る」
「駄目よ、今更キャンセルなんて、できないわ」

 白鳥の形にくり抜かれた華やかな看板を前に、シエルは思わず後ずさりした。

 バトラーズ・カフェ。

 スワンレイクというその店は、確かに三ヶ月前ロンドン・タイムズの紙面で小さく紹介されていた。古き欧州文化に憧れる日本人の間で大変好評、執事がもてなすアフタヌーンティーの逆輸入。自分には、一生関係ないと思っていたのだが。

「なんで、…」
「言ったじゃない、すっごくおいしくて、人気なのよ」
「いや…でも…」
「大丈夫よ、女の子向けのお店だけど、男性の方も是非いらして下さい、心を込めておもてなししますって、ホームページに書いてあったもの」

 そのなんでもない宣伝文句が、今のシエルには恨めしい。入口でしばらく、帰る、いや帰らないともめる。が、結局店から出て来た‘執事’に丁重に迎えられ、‘帰宅’することになった。




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