BLUE in the nest

□BLUE in the nest -29
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 ロンドンの風は冷たい袖の中に春の便りを隠していた。固い花の蕾や木の新しい芽は、目ざとくそれらを拾い見えない会話を交わしているようだった。大部分の人間たちはまだその気配に気付かず、曇り空の下で、外套の襟を立てて忙しそうに歩いていた。
 セバスチャンはシエルの手をとると、そっと自分のコートのポケットへ招き入れた。

「お寒くありませんか」
「…子供扱いするな」

 そんな会話でさえたまらなく楽しいというように、セバスチャンは陶然と微笑み返した。大輪のラッパズイセンのような美しい笑顔に、チョコレートを売る頬の赤い少女らがひそひそと耳打ちし合う。恥ずかしいような、誇らしいような気持ちで、シエルはそっと温かいポケットの中の手を握り返した。



「…それで今度、バービカン・センターのギャラリーでマネキンの展示をするのです。是非一度見に来て頂ければと思いまして」
「ああ、一緒なら行ってやってもいい」
「光栄です。観覧車を奢りますよ」
「それは、お前が乗りたいだけじゃないのか?…」

 ウエイターが香りのよいボルチーニ茸のクリームスープを運んで来たため、セバスチャンへの追及はいったん途切れた。

 シエルはクラシカルなピアノの流れるレストラン・ホールを見渡し、銀のスプーンを手に取った。

(こんな恋人同士で来るようなレストラン、それに観覧車だなんて…)

「まるで、デートだな」
「まるで、ではなく。あくまでデートですから」

 ふ、とスプーンを持つ手を止める。目の前で微笑む、赤に近い瞳。この瞳に見つめられると、時折右目の奥が疼くのだ。何故だろう。

「お前、…本当に、僕と会ったのはあれが初めてなのか」
「ええ、前にも申しました通り、お写真は拝見しておりましたが」

 曲調が変わり、思考が別の方向へと流れる。思い出しかけた何かは、ショパンの繊細な指に絡めとられてしまう。

 サラダからピーマンだけをリチャード・ジノリの白い皿の端によけると、セバスチャンは笑ってたしなめた。そんな様は、恋人というよりお目付け役である。

(やっぱり、執事っぽいな…)

 テーブルの上がドルチェのために綺麗にされ、BGMは陽気な曲に変わった。セバスチャンはおもむろにリボンのかかった灰色の小箱を取り出した。

「私から坊ちゃんに」
「僕に?」
「このタイミングなら、気に入って頂けなくてもデザートが埋め合わせをしてくれますからね」
「随分弱気なんだな」
「何分安物ですので」

 シエルは何だろうと思いながら受け取ってリボンをほどいた。ブランドのマークはない。この大きさは、カフスか、それとも…。

「あっ」

 出てきたのは鍵だった。シエルは手に持って、しげしげと眺めた。

「これ、どこの鍵…」
「私の部屋のです、坊ちゃん。つまり、合い鍵です」

 シエルが驚いている間に、ウエイターが素敵なものを運んで来ていた。メニューにはない、ハート型のチョコレートが飾られた可愛らしいパフェ。色鮮やかなボンボンや温室の果物がふんだんに使われている。

「今日は、バレンタインデーですからね」
「…は、恥ずかしい真似をするな!もうこのレストランには入れないぞ!」
「大丈夫ですよ、友人の店ですから」

 甘いソースのかかった生クリームが口の中で溶け、自然に口元がほころぶ。しばらくセバスチャンに観察されるな、と思った。





(あれが…欲しい…)

 深夜0時。

 少し前からベッドに入ると必ずするようになったその行為を、今夜も無意識のうちに始めている。




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