BLUE in the nest
□BLUE in the nest -33
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「メイリンもフィニもバルドも、此処が家のようなものだ、が…」
シエルは低い声で呟いた。
ファントムハイヴ家の広い階段は、ただの通り道ではない。エントランスから迎えられた賓客は、恭しい上級使用人の挨拶とこの広い階段にまず出会う。手摺りの凝った装飾と歴代当主の肖像画は、これから足を踏み入れる城館の格を知らしめ、そのような屋敷に招かれたという栄誉が心をくすぐる。
シエルは、あまりこのエントランスから外に出たがらなかった。勿論、天候の定まらない二月の朝とあっては、それも仕方がない。
階段を下りきったところで、セバスチャンが厚いコートを着せる。革色のリボンを飾った帽子をかぶせ、持ち手の温まったステッキを持たせると、幼い主人はかなり大人びて見えた。
「お前だけは、永い生の仮のいっときを埴生の宿で暮らしている、そんな気分だろうな」
「お仕えしている間は、僭越ながらここが私の家でございます」
セバスチャンはシエルの柔らかい髪を直すと、慇懃に頭を下げた。今朝梳かしたその髪は、昨夜自分が乱れさせたもの−…この満足はセバスチャンにとって、何ものにも代えがたかった。薪の火が暖めた部屋で、更に熱を貪った夜。自分の服に残った、抱卵のあとの羽の乱れのような跡も、上気した恋しい頬も忘れ難い。
馬車に乗ると、セバスチャンはシエルの横に座って、力強く抱き締めた。
「…っ、お前の席は、向こうだろっ…」
「坊ちゃんの手触りが、私を誘うのですよ」
「そ…んなっ…、見られたら、どうす…っ…」
朝早い田舎の道では、人通りがほとんどないことはわかっている。が、恥ずかしさから、なんとか口付けだけで我慢させて向かい側に押しやった。
狭い道にさしかかり、御者の鞭が低木の葉を打ち払った。その葉がひらひらと落ちたあたりに、黒いものが見えた。
「あっ」
シエルは馬車を止めさせると、外に出た。車輪が削った土の上を、よく磨かれた靴で駆け戻った。
二羽の鳥が道端にうずくまっていた。
やや小さな白いほうを、黒いほうがかばうように翼を広げている。頭を小さく動かしながら、怯えた目でこちらを見ている。
シエルは鳥を見つめたまま、ついて来たセバスチャンに囁いた。
「…アルビノのほうは、死んでいるのか?」
「確かめて参りましょう」
主の突然の行動にも、執事は冷静に対処する。セバスチャンはポケットからハンカチを取り出して、そっと二羽に近づいた。
動かないほうを優しくくるむと、黒いほうも羽ばたきながら二、三度セバスチャンの腕に止まろうとした。
「息はありますが、少々傷が深いようですね」
シエルはしばらく無心になって眺めていたが、はっと我に返って元来たほうへ踵を返した。
「遅れる、行くぞ」
「鳥はどうなさるおつもりですか」
「…そいつらにいいかどうか聞いて、いいと言えば連れてこい」
「はぁ…」
セバスチャンは二羽を目の高さに持ち上げると、紅い瞳を細めて笑った。
「当家の主人はどうにも我儘で、申し訳ありません」
「聞こえているぞ、セバスチャン」
「これは失礼致しました。…クス、ああ見えて可愛らしいものを愛でるお気持ちもおありなのですよ。…さて、お二方。ファントムハイヴ邸へおいで頂けますか?新鮮な食べ物とマイセンの浴槽でおもてなし致しましょう。…」
「おかえりなさいですだ、坊ちゃん!」
「おかえりなさい!坊ちゃん、帽子は僕が…」
「ああ、いや、綻びがあるから…二階でセバスチャンに直させる」
シエルは広い階段を足早に上ると、静かな客室に入りふうっとため息をついた。
「こちらにおいででしたか」
銀のワゴンを運んできたセバスチャンが、背後のドアをコンコンと叩いた。
シエルはそっとドアから離れ、拾い物の入った黒いシルクハットをテーブルの上に置いた。