BLUE in the nest

□BLUE in the nest -39
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 逞しい指が一人の女性の後れ毛を搦めとり、首筋に這わされる。アランは一瞬顔を背け、白すぎる手で胸元を押さえた。自分と違って、存分にパーティーを楽しむ気でいるらしい。まだまだかかりそうだ…。その時、大きな水音が聞こえ、アランは顔を上げた。エリックと目が合った。泥酔した女の一人が、足を滑らせたのか男性陣に煽られたのか、プールに落ちたのである。

「濡れちゃったわ」

 女は髪をかき上げ、水を滴らせながら上がってきた。
 たっぷりと水を含んだ髪が胸元に張り付いている。彼女は一同の目を釘付けにした―と、「あたしも入るわ!」そう叫んで、エリックと戯れていた女がざぶんと飛び込んだ。が、少々大きすぎるクリノリンでスカートを支えていたために、うまく上がることができない。見ていた男の一人が慌ててプールに飛び込んだ。
 エリックはちょっとの間真剣な目をしてそれを見届けると、すぐに立ち上がってアランの元へやって来た。

「帰ろうぜ」
「終わったの?」
「ああ」

 エリックは手の中で光っているシネマティック・レコードをアランに見せた。気の毒にも、水に飛び込んだ女を助けようとして死んだ男の魂を。





 兵士はなにゆえ
 あとたった1日
 待てなかったか
 待たなかったか

 手に入らなかった時の絶望
 耐えみせたのだという満足
 一方的な愛の愚かさ
 
 見えてしまったのは
 一体何だったか





(はぁ…)

 アランは鞄を右手に持ち直すと、一つ、また一つと消えてゆく遠い街の灯を眺めた。協会の建物の前は既に人通りが絶えている。エリックは出て来ない。すすんで残業するような性格ではないが、ウィリアムに報告書を注意されたか、残っている誰かと喋って遅くなっているのだろう。

 アランはひたすら待っている。

 いつも、なるべくエリックに合わせて協会を出ることにしているのだ。時々タイミングが合わない場合もあって、そういう日にはこうして建物の外で待つことにしている。

 一緒に帰ったことは、一度もない。

 外で待っているアランを見つけても、エリックはまさか彼が自分のためにそこにいるとは思わないのだった。「おう、お疲れ」と言って協会の横の坂道を下りて行ってしまう。アランはそれを見送ったあと、溜息を吐いて自分の家路につく。

 どうしてか、と言えば。

 たまたまエリックがロナルドと話しているのを、聞いてしまったのである。

「…だから、その兵士みたいに100日待ってる女の子がいたら?」
「1日目で持って帰るだろ」
「怖くないっスか?重いっスよー」
「据え膳食わぬはなんとかって言うじゃねーか」

 それを聞いて、どうしようもないやる瀬なさを感じてしまったのだ。健気にエリックを待って、彼の心を射止める者がいるとしたら。アランは自分がそうでありたいと思った。以降、ずっと彼を待ち続けている。
 二人の親密さを考えれば「途中まで、一緒に帰ろう」と声をかけることは何ら不自然ではないのだけれど、あと一歩の勇気が出ない。

「はぁ…」

 街の灯はもうほとんど消えてしまっていた。時折冷たい夜風が吹いて、辺りに生い茂るセイヨウニワトコの葉を揺らした。

「アラン」

 突然声をかけられ、アランはびっくりして顔を上げた。

「誰か待ってるのか?あとは管理課のウィリアムで最後だぞ」
「あ…えと…」

 こんな時のために用意しておいた言い訳が、出て来ない。アランは身体の中が空っぽに干上がるのを感じた。

「待ってない、誰も、待ってないよ」
「何かあったのか?」
「何も…」

 アランは白い手で胸元を押さえた。エリックは、彼の病気が急に悪化したのではないかと心配になり、アランに近付いた。

「大丈夫か?」
「え…うん…」




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