江戸村でござる
□お江戸物語*籐恋歌
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恋ひしけば 形見にせむと
吾が屋戸に 植えし藤波 今さきにけり
山部赤人
シャン!
まるで昼間のごとく提灯で照らされた、男の夢の国…華やかな吉原。
その中を花魁道中が通る。
艶(あで)やかな当代の高尾太夫が、黒塗の高下駄で外八文字を優雅に描いた。
彼女は遊女としては最高位の松の位…更に名伎女の代名詞、高尾太夫を名乗るに相応しい、まさに吉原一の太夫であった。
沿道に居並ぶ男達から、期せずして感嘆のため息が漏れる。
「見ろよ、あの女っぷり!さすが吉原一の高尾太夫だぜ…」
「おいら『主さん、わちきは恋しくありんす〜』って言って貰いてぇ!」
「おきゃぁがれ!鏡見ろ、鏡!」
その時、高尾太夫の歩みが止まった。
彼女の瞳が見つめる先に1人の若い侍が立っている。
すらりと背が高く、月代や髭はきちんと剃り、涼やかな目、引き締まった口元をしていた。
嫣然と太夫は微笑んだ。
つい、と側にあった、藤棚から今を盛りと咲いている薄紫の藤の花を採り、側にいる禿(かむろ)の少女に手渡し、何事か囁いた。
藤の花の甘い香りが辺りに漂よう。
禿は侍に駆け寄り、花を手渡した。
「お?見ねぇ、あの侍に太夫が花を!」
「ち!羨ましいぜ!どこのどいつだ、べらぼうめ!」
侍は太夫を見て軽く頷き、藤の花を懐にしまい立ち去った。
それからは何事も無かったかのように花魁道中は続いた。
侍は口元に笑みを浮かべ「覚えていたか……美しい太夫になったものよ……」そう呟いた。