江戸村でござる

□お江戸物語*才蔵とお艶I第5部
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おけいに(叩き)起こされたおかげで、一番に道場に着いた才蔵。

稽古着に着替えた彼は、庭に回って井戸から桶に水を汲み、干してあった雑巾で、早速掃除を始めていると、三々五々、他の門人達もやって来た。

「おい、あの場違いな小僧が例のか?」昨日はいなかった男が道場仲間に訊いた。

「そうだ。昨日、神野様に連れられて来たのだ。先生に打ちかかって、散々床に転がっておったわ。全く町人風情が高望みしおって…。」

聞こえよがしの会話を聞きなから、才蔵はぐっと唇を引き結ぶ。

こうした軋轢は、覚悟の上で始めたのだ。何を言われようが仕方がない。

それでも才蔵は、一旦雑巾がけを止め、町人らしく土下座し深々と一礼した「おはようございます。才蔵と申します。よろしくご指導下さい。」と殊勝に挨拶。

たとえ気分は悪かろうと、挨拶をしないで良い理由にはならない。又、しなかったら、しなかったで更に非難の口実を作るようなものである。

つかつかと側に来た新顔の門人が、才蔵を見下ろし「…早く自分から止める事だな。出ないと大怪我をしても知らぬぞ。」と言ってよこした。

脅しとも取れる言い方だった。

才蔵「…お目障りなのは、お許し下さい。ですが、俺は死なない為に入門しました。」

門人「何っ?」

「…俺、岡っ引きのほんの駆け出しで、本当に弱っちいですから。でも、まだ死にたくないんです。相手する悪い奴はほとんどヤクザ者で、こちらの門人の方のように、礼を尽くして剣を学んでもいません。卑怯だろうが何だろうが勝てばいいってんで、いきなり後ろからでも合い口でズブ!って来ます。せめて避けられるようにはなりたいんです。」一生懸命説明をする才蔵。

弱いから死にたくない…恥も外聞もない、あまりに正直な心情の吐露に、門人はぐっと詰まった。

これは、剣とはどうのと言う精神論の次元の話ではない。

危険なら何とか知恵を使って、生き延びようとする人間として当然の欲求だった。

門人はもう止めろとは言えなくなった。それは死ねと意味に等しい。

才蔵は再び頭を下げ「…色々ご迷惑かけますが、どうかよろしくご指導下さいまし。」

「う、うむ。」彼はそう頷くしかなかった。
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