江戸村でござる・その弐
□お江戸物語・にわか雨
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「あ〜、美味い。一汗かいて喉が渇いたから尚更美味いぜ」
お艶は結局、才蔵に1本付けてやった。
呑気にのたまう亭主をちょっと睨む。「元々はあんなに濡れて帰って来るからでしょ。どこかで雨宿りしてくれば良かったじゃない」
「してたよ。だがよ、知らない場所で何時止むか知れない雨を待ってるより、びしょびしょになろうが、サッサと家に帰った方が、こうして落ち着くってもんだぜ。第一、家には可愛い女房が待ってんだ」
見ろよ、雨はまだバシャバシャ降ってるじゃねぇかと彼は肩をすくめる。
気の短い才蔵らしい。
「あ、そうそう。そこでバッタリ珍しい人間に会ったぜ。俺が雨宿りしてた所へ飛び込んで来たんだ」
「あら、どなた?」
才蔵は行儀悪く、箸があるのに、瓜のお新香を手掴みで口に入れ、バリバリと噛みながら答えた。
「島田屋のお玉…昔、お袋の弟子だった…お前、覚えてないか?」
…お玉?
「…覚えてる」
才蔵を好きだった娘だ。忘れる訳がない。
もうかなりの年月が経ったと言うのに、思いがけずお玉の名前を聞き、我知らずさわさわと胸が騒いだ。
「…元気だった?」
「ああ。ただ嫁いだ先で一昨年亭主が亡くなったそうだ」
「…そう」
蘇った過去の亡霊を見たような、複雑なお艶の心境も知らず才蔵は「いや、あん時は俺もガキだったよな…」苦笑混じりに呟いた。
それは何気ない呟きだったのだが、お艶には、何だか喉に小骨引っかかったような気がした。
…ガキだった?
何を指してガキって言うの?
確かあの頃、お玉は結構露骨に才蔵に迫っていなかったか?
とろけるような笑顔、上目遣い…その上、自分の身体を擦り付けるようにして、才蔵に話しかけていた姿を思い出す。
大人になった今のお艶なら分かる。
お玉は才蔵に女の手練手管を駆使していた事が。
…それに対しての対応がガキだったって事?
今のお前さんなら違ってたの?
さっきのにわか雨のように、お艶の心に黒い雲が湧き上がって来ていた…。