江戸村でござる・その弐
□お江戸物語・にわか雨
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夏も近づいたある日…突然のにわか雨に降られた“いわきやの親分”才蔵は、雨宿りに、神田は松田町の小さな小間物屋の軒先に飛び込んだ。
ゴロゴロと雷の音が遠くから響き、黒く湧き上がった雲の間で稲光がピカリと不気味に光る。
昼間なのに薄暗くなった空。
ザア…ッ!
滝のような激しい雨が、地面を叩き水しぶきを上げていた。
見回したが店の者の姿は見えない。
何となく埃臭い店で、繁盛しているようにはとても見えなかった。
そこへ才蔵の他にも、軒先を借りようと飛び込んで来た女がいた。
才蔵は彼女に屋根の深い場所を譲ってやり、自分は雨だれが跳ね返ってしまう所へ移動した。
「すみません」女は彼にちょっと頭を下げた。「いや〜。もう突然なんだもの…!」恨めしげに空を睨んだ女が、懐から出した手拭いで濡れた頭や顔を拭いていた才蔵に目を止めた。
「…あら?もしかしたら…才蔵さん?」
「え?」
改めて女を見直した才蔵。
この顔…?
「あら、嫌だ。忘れちゃった?あたし、島田屋のお玉よ」
お玉は才蔵がまだ少年の頃、常磐津を教えていた母親のおけいの弟子だった。
「あ」
懐かしいわとお玉は笑った。
「お久しぶりね」艶やかに笑ったお玉は「才蔵さん、昔あたしに向かって金輪際逢いに来るなって言ったけど…この状況は仕方ないわよね」悪戯っぽく言った。
思わず赤面した才蔵。
昔、初めての捕り物をお玉に邪魔された事があり、張り切っていた分、随分ガッカリした物だった。
その時の彼に言えたのは、謝罪はいらない、金輪際来るなという絶縁の言葉だけ。
今から思うと、かなりガキっぽい真似をしたと思う。
「…すまなかったな」
「いいのよ。あたしが悪かったんだし」サバサバと言った彼女は、チラッと才蔵の帯にたばさんだ十手を見た。
「“いわきやの親分”噂は聞いてるわ。佐七親分の跡を立派に継いだのね」
「…まあ、何とかやってるよ」
「あたしの方はね、扇問屋に嫁いだんだけど、一昨年亭主が死んじゃったの」
「そりゃあ…」
悔やみを言おうとした才蔵にお玉は手を振る。「いいのよ、気を使わないで。人間、寿命って物があるんだし…」