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蝉の声が煩い日だった気がする。外に出れば蜃気楼で、地平線がゆらゆら揺れて。夏だ。暑い。わくわくする。なんて少し胸が高鳴ったりして。花火にスイカ、海、お祭り。浮かんでくる単語を並べてさあどれから手をつけよう。

雪男看守の特別補習なんてやってられるかと宿舎を飛び出し、学校に来た。もちろん勉強をしにじゃない。なかなかに涼しく静かな校舎は快適な逃げ場なのだ。
行きに舐めていた飴をかみ砕き、俺は上機嫌で靴を履き替えた。

そこまではよかった。空いている教室に座り、冷たい机の感触に浸っていたら見つかったのだ。

雪男じゃない。志摩に、だ。



サマー・デッドライン2



「あれ、どないしたん」

「…別に」

扉からひょこっと顔を出したピンク頭に嫌な予感しかしなかった。そっぽを向いて机に頬を預けていると、足音が近づく。

なんでいるんだよめんどくさい。今日は一人で過ごすって決めたんだ。今から俺の超脱力リラックスタイムが始まるところなのに。無理矢理にでも何も考えないでぼーっとしたいんだ。

「あら、先生から逃げて来たん?」

「るせ…」

今度は椅子を引く音がして、志摩が右隣に座ったのがわかった。

「お前はなんでいんの」

「忘れ物を取りに」

数分で終わるようなことなのにどうしてタイミングが被るんだ。夏休み初日に来るんじゃなかった。しかも、あの時と同じような、状況とか。

「はぁ…」

重い頭を少し持ち上げて机の縁に額を乗せた。重ねるように合わせた両手を見つめ唇を引き結ぶ。

「そない嫌そうにせんでもー」

染めているくせに、意外とふわふわしていた髪。やる気がなさそうなのに直視できなかった目と、熱かった指先と、今までとは違う声。

全部忘れられなかった。あの時の俺は気を許しすぎて本当に本当にどうかしてた。長期休業の直前だったもんだから、会わないからこそしばらく頭ん中を占領しまくるんじゃないかって、じゃあこれからたくさん思い出作って掻き消そうって、そう思ってたのに。

「奥村くん?」

本人が横にいたら余計濃くなって根付いてっていうか思い出したらすっげえばくばくああもうわかんねえ!

そうだ、でこが痛い。

顔を上げて両腕も持ち上げた。そのまま前に持ってきて、組んで頭を乗っけようとしたら右腕が途中で動かなくなる。

「顔赤いのは、意識してはるから?」

「!」

志摩に掴まれたと気づく前に、耳に直接吹き込まれた言葉で頭の中が一瞬真っ白になった。

「違う!うるさい!」

「ちょ!いきなり叫ばんといて」

「放せ!放せよ!」

思い切り腕を振り下ろし、手が離れたと同時に睨みつける。冗談だってことぐらいわかってる。それなのに過敏に反応した自分に腹が立ったし、余裕ぶって楽しんでる志摩にもいらついた。

「ごめん。今のはちょっとあかんかったね」

「どういう意味だ」

「ふざけ過ぎました」

違う、違う。元はと言えば俺が悪いのに。友達ができたと思って嬉しくて、引き止められて。何の用事かも聞かないで寄り掛かったりなんか、して。態度が変わったのは気持ち悪いって思ったからだ。絶対。志摩は優しいから、夢を見させて少しずつ離れてくんだ。傷つけないように。

「わかってんじゃねぇか…」

「なあ、奥村くん、なんか」

「もういい。俺だってわかる」

「え?」

「俺は大丈夫だから」

「何が、奥村くん、」

立ち上がり椅子を入れる。学校はだめだ。お前のせいだ。探せば他にもいい場所はあるだろう。何ならしえみの庭に行ってもいいかな。木陰なら涼しいだろうし、本来なら俺は入れないけど頼めばきっと、

「奥村くん!」

「……」

嫌なんだ。

その声は響くから。

また腕を掴まれた。立つと俺より背が高いそいつに掴んだ腕を引っ張られる。

背中と頭に回された手が、逃げることを拒んだ。

「なにしてんだよ」

「奥村くん、嫌や」

覚悟しててもいざ言われると結構くるな。痛くないのに痛いっていうか。鼻の奥に刺激を感じて、声が震えて、泣きそうだ。

「だ、から、わかって」

「肝心なとこを言わへん」

「だって」

「俺のこと好きになってって言うたやろ」

言った。覚えてるよちゃんと。だけど、好きには色々あるんだろ。身体を押さえつけられていて息苦しい。本当は力無く垂れ下がった両腕で俺も抱きしめたい。鼓動を感じるくらいに、もっともっと。

本当、気持ち悪い。

「志、摩。おれ…本気にする、から」

お前が相手だと。お前の冗談は。お前が言う「好き」は。勝手に、都合のいいように、変換してしまうから。

困るのはお前だから。

「は、離れなきゃ、なんねぇだろ…っ!」

志摩の手から力が抜けて、二人の間に空間ができた。情けない、泣き顔を見られた。変な俺を、見られた、聞かれた。涙を拭おうとするとその手を絡め捕られて、



「…ん…っ」



口を塞がれた。

「あ、ふぁ…ぅ!」

触れるだけじゃなくて、息をしようとしたらすぐに舌が入ってきて。俺の舌を吸われたり、舐められたり。他に何が起こってんのかなんてわからなくて、神経全てをそこに持っていかれた。

「は、や…、んんぁ…」

長かったのか、短かったのか、夢中で流れた時間はちゅ、という音で終わる。ゆっくりと唇が離れ、瞼をこじ開けようとしたら、涙をぺろりと舐めとられた。

「…っ!し、ま」

「やっぱ、しょっぱいなぁ」

今度こそ視界を開く。へらぁと笑う志摩がいた。

「はぁ…?」

「燐くんの口ん中、めっちゃ甘かったから」

「あ、あめ、なめてっ」

なんでお前はそういうことを軽々と待って、今。

「俺の、名前」

「燐」

「ちがっ、」

「燐ちゃうの?」

「そうじゃなくて!」

「かいらし…」

頬にまたゆっくりキスされた。それから、耳とか、前髪を上げられて、跡ついてるって笑いながら額にも。

もう俺はどうにかなってるんじゃないか。ちょっと触れられるだけで、身体に弱い電流が流れていくんだ。

「んぅっ…し、志摩」

「何…?」

無意識に縋り付いていたことにやっと気付いて、この際だからって顔を埋めようとしたけれど、もうそんな力は残っていなかった。

「も、無理」

「おおっ!?」

がくんと膝を折ってずり落ちる俺を志摩が支え、一緒になってへたり込む。

「照れる、なぁ。そんなに良かったんですか?」

大人っていうか、差っていうか。俺だけこんなになってすげえ悔しい。き、キスって舌、中で、あんなの。

「あんなの知らな…」

「これから慣れていったらええよ」

「慣れてってんんー!」

「んー」

またやられた!しかも両手をついて身を乗り出してくるもんだから、たまらず後ろ手をつくとやっぱり力が入らなくて、キスを受けたままぱたりと倒れてしまった。

「はっ、はあ…」

「奥村くんも呼んで?」

「……」

「俺の名前」

いい加減酸素が足りない。上下する胸の真ん中では今だに心臓がうるさく音を立てている。全部お前のせいだ。なんだか久しぶりに志摩の言葉を軽く感じた。理由なんてすぐにわかった。

「…なら」

「ん?」

「呼ばないなら呼ばねぇ…」

「ははっ。そやった。ごめん――燐くん」

頭を固定されたと思ったら、耳に唇が触れて。さっきよりもとびきり甘い声で囁かれた。途端に耳の中まで熱くなる。嫌だ。これ苦手だ。

「れ、ん……廉造っ」

悲しくないのに相変わらず涙がぽろぽろ零れて止まらない。志摩に比べたら俺の声なんて、周りが呼ぶそれと変わらないんだろうけど、少しでも、伝わってくれたらいいのに。

「くっそ…あかん」

「え…?」

「燐てほんまに、俺のツボ把握しとるでしょ」

「なに、ちょっ…!?」

いきなり志摩の声色が変わって、俺の首筋をやんわりと噛んだ。

「ッ!」

同時にTシャツの下に手が滑り込んできて、あまりのくすぐったさにその手を掴む。

「おい、待っ、何!なんだよ!…っははは!」

「わかっとらん!燐くんわかっとらん!そこ笑うとこやない!」

「だってこれ、あははっ!」

「りーんー…」



もしその時に戻れるなら、じゃれあいと勘違いしていた俺をひっぱたきたい。暑い日だった。すごく暑い日だった。蝉の鳴き声に気づくのはそれから数時間後の帰り道で。幸せそうな顔で俺の手を引く志摩とは裏腹に、俺は冷めてくれそうにない熱にやられていた。

「ぶっ飛ばす…」

「落とそうって思ってたん、落ちたのは俺やったわ」

「は?」

「明日も学校行ってみようかな」

太陽はまだまだ青い空で俺達を照らしていて。わたあめのような入道雲を隠すのは、あの派手な色したエロ魔神で。

ぬるい風が髪を撫でていく。

汗ばんだ手に力を入れると、すぐに握り返してくれた。

「アイス買ってこいよ」

「了解しました」



正十字学園での、最初の夏休みが始まる。

End.


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