長編2

□ただひとつの名前
2ページ/2ページ




「たすけて、おかあさん」



幼子が救いを求めるように、思わずと口にした言葉。

それに、ロイの手が止まった。
エドワードも、呆然と、自分が今口にした言葉に固まった。

彼女はここにはいない。
助けてくれる筈もない。

それなのに思わずその存在に縋った事実に、思考も恐怖も霧散した。

――もう、とうの昔に、母を求めることはやめたと思っていた。

成長し、知識も増え、大抵のことなら自分でどうにか出来るようになった。
だからエドワードはもう、小さな頃のように優しい母親を求めることはやめた。
自分自身でそれを禁じたのだ。

それなのに抗えない恐怖を前にして呼べる名前は、ただ一つだけだった。

愕然としていると、頭上でロイが何かを言っている気配がした。
しかし、五感すらも機能を停止しているようで、上手く聞き取れない。

身動き一つ取れないでいると、体を拘束していた重みが退いた。
無意識に、薄暗い部屋の中で、唯一動く大きな影を追う。

ロイがゆっくりと立ち上がり、只管に冷たい瞳でエドワードを見下ろしていた。

やがて興味を失くしたように、踵を返し、部屋を出て行った。


「おかあさん」


そういえば彼も、自分とは違った意味で、母親に思う所があるのだと。
それを思い出して、エドワードはがちがちに固まった身体の力を抜いた。


「そんなの。俺にはいない」


呼称一つで恐怖を祓った。
その事実を反芻し、噛み締めて、嫌悪する。

確かな救いを齎してくれたからといって。
今更母親という偶像を求めた自分に、吐き気がした。



終.
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ