novel

□open the door
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「悟空さ」

 悟空の頭上から優しい声がした。

 腕をどけて自分を見下ろすチチの顔を見る。

 チチはフッと微笑み、

「眠いだか?」
 そう言って悟空の髪を撫でた。

「ん、ちょっとな」
 悟空は自らチチの手に顔を摺り寄せそう答えると、チチの手は少し戸惑ったようにビクついたが、そのまま悟空の頬を撫でて言った。

「ちょっと疲れてるんだべな。ここじゃうるせえだろうから寝室で寝るだよ。飯になったら起こしに行くから」
「……ヤダ……ここにいる」
 悟空はそう言ってチチの腰に抱き付いた。

「なんだべ? 甘えるなんて珍しい」

 チチの気を読む。少しざわついた。きっと照れているのだろう。

「……だってさ、オメエに会うの、一年振りなんだぞ?」
「でもおらはこの間までおめえと一緒だったもん」
「……そうだけどさぁ……」

 悟空はそれでも尚、チチの腰を抱く力を強める。まるで離れたくないと駄々をこねる子供のように。

「……今日は……悟飯がいるだぞ?」
 少し顔を赤らめてチチは呟くように言った。

「わかってるって。何もしねえからさ。ただここにいてくれるだけでいいんだ。いいだろ? 別に」

 ピッコロと悟飯と三人で修行をしていた時、時々ピッコロに悟飯を任せて自分だけ家に戻ってきては衝動のままにチチを抱いたのだが、チチはそのことを懸念しているらしい。
 悟空もさすがに息子がいるのにそうしようとは思わない。夜は別だが……。

「……でも家のことが……人造人間にめちゃくちゃにされたし……」

 悟空を追ってやってきた人造人間に家を荒らされた。チチはその後片付けに忙しい。
 最初は悟空も悟飯も手伝わされたのだが、何せ超化し力が強くなっている。手伝う早々に物を壊すといった失態を二人してやらかしたものだから、チチに邪魔だから晩御飯の魚でも取りに行って来いと追い出されたのだが……。

 でも今、完全にチチの邪魔をしているのだろう。

「……ま、少しだけ休憩するか。でも悟飯の勉強の時間が済むまでだべ?」
 チチはそう言い、ソファーに腰掛けた。

「おう」
 悟空はそのままチチの膝に頭を乗せる。
 するとチチは悟空の髪を撫でてきた。
 その炊事で少し冷たくなった手が気持ちいい。
 チチは炊事で荒れた手だから嫌いだと言っていたが、悟空にとっては何よりも好きな手だった。

 掃除をし、洗濯をし、悟空たちの食事を作り、子供を育てた手。
 自分の頬を、髪を撫でる手。
 こんなに愛しい手はない。

 するとチチは突然悟空の髪を引っ張った。

「いてっ!! 何すんだよっ!?」
「見事に根元まで金髪なんだべなぁ? 黒いところひとっつもねえべ」
 チチは珍しいものでも見るように、いまだ悟空の髪を引っ張りながら見ている。

「初めてじゃねえじゃねえかっ!?」
「真昼間からこんなに近くでマジマジと見たことねえもん」
「まぁ……そうだけど……」

 チチはこの姿があまり好きではない。不良みてえだからやめろ、と何度も言われた。

「……でも、よく見るとキレイだべなぁ……この目も……キレイだべ……」

 悟空は姿を変じてチチを散々怒らせてきた。この姿の自分が嫌いなのだと思った。
 時々、夜に変じてしまって泣かせる結果になったこともあった。
 
 ウットリと悟空の翡翠色の瞳を見るチチの大きくて黒い瞳に吸い込まれそうな感覚に陥った。

 悟空はそのままチチのうなじに手をかけ、自分の顔に近付けた。

 そして軽く、口付ける。

「……悟空さ……何もしねえって言ったでねえか……?」
 赤くなりながら、チチは小声で抗議した。

「これくれえ、何てことねえだろ?」
 そしてもう一度口付ける。変な気を起こさない程度に、再び軽く。

「……もう、悟空さったら……悟飯が来たらどうするべ?」
「気でわかるさ。それに見られても構わねえだろ? オラたちが仲良くしてんだからさ」
「そういう問題じゃねえんだべ!!」
 大きな目を吊り上げる。

 昼間、特に悟飯がいるときがなかなか母親の鎧を脱がないチチ。
 それをどう脱がせるか。悟空はいつもそれと勝負しているようなものだった。
 悟空は今もそれを脱がせようとしたけれど無駄だった。息子はすぐそこにいるのだから。

 でも今は母親のままのチチでもいい。
 ただ傍にいてくれるだけで。それだけでいい。

「そうだ。悟飯がさ、オラの運転でどっか行きてえってさ。だからさ、弁当持ってドライブにでも行こうぜ」
「あんれ? 珍しい。修行しねえだか?」
「ああ。三日休んで三日特訓。そんでまた三日休むんだ」

 その時、チチの身体がビクついたのが悟空にもわかった。

 合計9日。その後には闘いが待っている。
 余計なことを言ったのだろうか。またもチチを不安にさせたようだった。

「……なら、たくさんお弁当作らねえとな!! 悟空さ、何食べたい?」
 ニッコリと微笑み、訊ねてくる顔は不安の色など見せていなくて。
 でも不安でいっぱいなことはわかる。悟空はそれでも知らない振りをしてやる。

「……そうだなぁ……オラ、オメエの作るモンなら何でも好きだけどなぁ……しいて言うなら肉まんが食いてえなぁ」
「んだ。なら肉まんいっぱい作るべ!!」
「楽しみだな」
 二人で微笑み合う。

 不安で不安で堪らないくせに、こうして普通を装ってくれることが悟空には嬉しかった。

 気は強いがとても優しい女だ。だけど同時に弱い女でもある。
 妻の気の強さの中に見え隠れする弱さ。そのことを知っているのはきっと、父親である牛魔王と夫である悟空だけだった。
 仲間はともかく、きっと息子である悟飯も知らない。

 微かに震えているチチの指を握り、口付ける。

「どこ行こうか? 修行ん時に見つけた湖なんかいっかな?」
 悟空が子供のような笑顔でそう言うと、チチの微かな震えも止まる。

 チチにとって悟空の笑顔は鎮静剤のようなものだった。どんなに動揺しても不安になっても、悟空の子供のような笑顔によって心が救われた。
 悟空さえいれば……悟空の他の仲間と同じようにそう思っている部分もある。

 三年前、宇宙から戻ってきた悟空が『悟飯と一緒に修行したい』と言い出したとき、地球よりも悟飯の勉強の方が大事だと言ったのは本音だ。

 それはチチが悟空を全面的に信頼しているからであり、何も悟飯を巻き込むことにはなるわけがない。そう思っていたからだった。
 どんなに強い敵が現れても、チチは宇宙一強い自分の夫が絶対に倒してくれる、そう思っていた。

 だけど、今度の敵はそういうわけにもいかないということはチチにもわかった。
 悟空が自分では倒せないかも知れないと、ほんの少しでも思っていることも。
 だからチチは不安になった。悟空がチチの不安を手に取るようにわかるのと同じように、チチにも悟空の不安がわかる。

 だけど、悟空は自分の大事な夫だ。本当は危険なことなどして欲しくない。

「……そうだべな。湖か……」

 チチが悟空の指にその細い指を絡ませてそう言う。

「デッケエ湖でさ、ぜってえ悟飯のヤツ喜ぶぞ」
「そうだべなぁ……」

 いつまでも少年のような悟空でも、話の端々に必ずと言っていいほど悟飯が出てくる。そこに悟空の父親としての姿が垣間見れる。

 悟空はチチが思ったよりも悟飯を可愛がった。
 悟飯が生まれたときはお互いにまだ二十歳になったばかりで、しかも悟空という、色々な意味で少し常人からかけ離れた存在である男が自分の子供とはいえ赤ん坊というものにどう接するのか、チチも牛魔王も僅かではあったが不安もあった。

 しかしながら悟空はかつて自分にあった尻尾を持つその小さな存在をすぐに自分の血を引く存在であることを認識し、およそ他の男が感じる父親の実感よりも早くそれを実感した。

 それに決して得られることのないと思われた本当の肉親であり、最愛の妻がその腹を痛めて産んだ自分の分身のような存在だった。
 そして、初めて得た、初めてその腕に抱いた、世界に二人だけの同じ血を持つ存在。
 その存在は愛しい妻の血も併せ持っている。そう思うと悟空は嬉しくて、ただ嬉しくて、この小さな息子がかけがえのないものになっていた。

 見つけ出した祖父の形見の四星球に、常にこの子を守ってくれるようにとに願いを込めた。


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