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□空を見上げて (OD)
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空を見上げて(OD)vol.1
署の屋上でタバコの煙を思いっきり吹かせる。
すると、屋上の扉が開く音が聞こえた。
こちらに向かってくる足音。それだけで誰が来たのかわかる。
「青島君」
やっぱり。足音の正体は思った通りの人だった。
「何サボってんの?」
「……サボってるわけじゃないよ?」
「どう見てもサボってるようにしか見えないんだけど?」
足音の主が眉根を寄せているのはその声音でもわかる。
「すみれさん……俺たちがこうしてる間にもたくさんの命が生まれて、そして死んでってるんだよね……」
「……そうよね」
青島は屋上の柵にもたれ、空を見上げたままの姿勢だった。
「……なのに……殺されるなんて……理不尽だよな……」
「そうね……」
この間、管轄内で幼い少女が誘拐され、そして遺体を遺棄されるという事件が起きた。
犯人は少女の自宅の近所に住む浪人生だった。
小児性愛を持ち、受験失敗を繰り返していたその男は、少女を悪戯目的で誘拐し、抵抗されたので殺したのだと供述した。
あんなに幼い少女が理不尽にも殺された。ある男の性的欲求とストレスのはけ口にされ、その幼い命の幕を閉じた。
思えば、青島にもこのくらい年齢の子供がいてもおかしくない。
憤り。それと同時に何だかどうしようもない焦燥感に駆られた。
そして青島は、この仕事に携わって人の死というものに慣れてしまっていた自分に気が付いた。
「……俺……何にも出来なかったな……」
何も出来るもない。犯人に前歴がなかったから事件が起こってしまってからこの男の異常性に気付いたわけだし、未然に防ぐことなど容易なことではなかった。
なのにまるで自分の責任のように感じてしまった。
「……何も出来なかったわけじゃない……んじゃない?」
すみれの言葉に青島は視線をすみれに向けた。
「……なんで?」
「だって青島君、ちゃんと人に死に向き合ってるもん」
「え?」
「慣れちゃってたでしょ?殺人とか遺体とかって」
「……うん」
あの少女の両親はそれはもう嘆き哀しんだ。
この世の終わり―。そんな雰囲気さえも感じられた。
どれだけこの少女を愛していたか。
死んだ子の親の気持ちなんて、その立場にならないとわからない。だから無責任なことは言えない。
でも、あの嘆きを目の当たりにすると、胸が無性に抉られるような、どうにも形容しがたい気持ちになった。
それと同時に、自分の親に虐待を受けている子供たちのことも頭を過ぎった。
管轄こそ違うが、時を同じくして虐待の末意識不明に陥った子供のニュースを耳にした。
どうして子供が犠牲になるのだろうか。この場合も虐待の場合も、子供の力など及ばない大人による犯罪だ。
余計に虚しくなった。自分も大人なのに、そんな子供を守ってやることも出来ず、ただ事件であるならそれを追及する。
要するに起こってしまったことなのだ。
正直なところ、殺人や遺体というものに慣れてしまっていたように思う。
慣れて感覚が麻痺していた、そんな気がした。
だけど、少女の遺体と少女の両親の嘆きを目の当たりにしてそれに気付かされた。
大事なものを失う辛さ。身を引き裂かれるような痛み。
忘れてしまっていた。自分もあんなに恐れたことなのに。
今、目の前にいる彼女を一度、この腕の中で失いかけたことがあるのに。どうして死に慣れて麻痺することが出来たのだろう。
「気が付くきっかけだったじゃない。それだけでも随分違う」
すみれの声が優しく響く。
「……そう……なのかな?」
「うん。きっとそうよ」
すみれはそう言って青島の背中にもたれかかってきた。
一瞬勢いで柵が腹に食い込んだが、彼女自体の重みはそんなにない。
だけどすみれの命の重みが、その温かみでこちらに伝わってくるようで、青島はすごく安心できた。
「……すみれさんってすごいね」
「なにが?」
「ここぞってときにいつも欲しい言葉をくれる」
「さすがあたしよね」
ニッコリと笑って胸を張る。
「さすがって……すっげえ自信家だね、相変わらず」
「なに?」
すみれは青島の背中から離れ、青島の横に移動して顔を覗き込んだ。
「……こりゃ失敬」
低い声で凄まれれば思わずすみれの常套句を吐いてしまう。
「でもさ、今度生まれ変わったらさ、幸せになって欲しいよね」
空を見上げながらすみれは言った。
「てか俺たちの子に生まれてきたりしてね?」
すみれを試すように、青島はわざと顔を近付け口角を上げて言う。
「俺たちって誰?」
すみれはキョトンとした顔で首を傾げた。
「俺とすみれさん」
「ありえないわね」
全否定? 青島は何となく、いや、多大なショックを受けた。
「そんなのわかんないじゃんっ!!」
思わず子供のように叫ぶ。自分でも情けないとは思うが。
だけどすみれは再び空を見上げて言った。
「あの子はね、またあの両親から生まれてくるのが一番幸せなの」
「……あ……」
「でしょ?」
「だね」
次に生を受けるときも、この両親の子として生まれることが何よりもこの少女にとって幸せであるか。そんな風にも思った。
でもこの少女は確かに愛されてた、そう思えた。
「ねえすみれさん」
「なあに?」
青島は聞いてみたいことを聞いてみようと思った。
「俺の子供産む気ない?」
「無い」
間髪入れずに即答された。
「はっきり言うねえ」
多少ショックと受けつつも、即答というところがすみれらしいと思えて苦笑する。
だけどすみれは青島の目を真っ直ぐに見据えてはっきりと言った。
「あたしはね、誰かの子供の産むんじゃないの。あたしと誰かの子供を産むの。わかる?」
「う〜ん……わかるようなわからないような……でもすみれさんらしいよね」
「でしょ?」
そうニッコリと笑うすみれの顔はとても綺麗だった。
上手くはぐらかされたような気もしたが、ま、いっか。とも思う。
別に『俺の子』を産む気は無くとも『俺とすみれさんの子』を産むことを否定されたわけでもなさそうだし。
素直じゃないすみれに、青島は思わず破顔した。
こんなすみれとのやり取りで、心が幾分か軽くなったように思えた。
そして二人は、澄み切った空を見上げた。
生と死は背中合わせで、いつ何時自分に訪れるかわからないもの。
自分たちは既にそれを経験していて、お互いに失いかけて、お互いに取り戻した。
だけど、少女の両親はそれが叶わなかった。
だからこそ忘れてはいけない。
奪われた者の嘆きと、その心を。
そして―。
いつもそこにある『生』と、いつか訪れる『死』を。
end