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□空を見上げて (DB)
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空を見上げて vol.16


 ここにはもう戻れないかも知れない。

 覚悟を決めて玄関の扉を開けた。

 まだ早朝、いや、夜が明けきる前の空は一瞬暗闇が深くなるように感じる。

 まるで、今の自分の心境のようだ。

 荷物を抱え、扉を一歩出ようとしたそのとき、

「悟飯」

 背後から声がした。

「お……かあさん……」
「……行くだか」
「……ごめんなさい」

 突然現れ、破壊の限りを尽くしている人造人間に対抗すべく、倒された仲間の敵を討つべく、僕は家を出てる決心をした。

 母に言うときっと反対される。だから黙って行こうとした。

 しかし、見付かってしまった。

 引退したとはいえ母も武道家だった。ちょっとした気配にも気付くだろうことはわかっていたはずなのに。

「謝るでねえよ」

 恐る恐る振り向く僕に母は意外な言葉をかけた。

「お母さん……?」
「謝るでねえ」
「な……んで?」
「おめえが行くだろうことはわかってた。これでもおらはおめえの母親だ」
「お母さん……」

 その大きな目を吊り上げて言うさまは、いつも父を怒鳴りつけていた頃の母の目だった。

 強い意志の篭もった瞳。孫悟空の妻であることを誇りとする瞳。

 その目と同じだった。

「世界が大変なときに安全なところでくすぶってるような人間じゃないべ。悟空さもおめえも」
「……お母さん……」

「だからおらも腹をくくった。おめえがピッコロさのために宇宙に行くって言ったあのとき……だけど今まで過保護できたのは、おめえがおらから離れていくのが怖かった。おめえは悟空さに……よく似てるから……」

 大きな瞳に涙が溢れている。しかし、その瞳を真っ直ぐに僕に向け、強い声音で言った。

「でもおらは孫悟空の妻であり、孫悟飯の母親だ。このくれえの覚悟くらい、とうに出来てる」

 何かに挑むような強い瞳。

 ああやっぱり……父が死ぬ前の母の目だ。

 この地球で、いや、宇宙で一番強かった孫悟空を支え続けた妻の目。

 僕がいつも見ていた、あの頃の強い母の目。


「これ……持って行くといいだよ」

 そう言って母が差し出した風呂敷包み。
 
 母から受け取り、その包みを解いた。

「っ!? これ……」
「悟空さの胴着だべ。印をおめえの名にした。おめえはこれから悟空さと、おめえ自身の名前を背負っていくんだ」

 父の胴着。父の誇りの、山吹色の胴着。そこには僕の名の『飯』という一字。

 父の祖父から貰った、僕の名。

「おめえが悟空さの胴着を持ち出したことも知ってる。だけど、おめえには自分の名前も背負って欲しいんだべ」
「お母さんっ!!」

 涙がこぼれた。父が死んでから一度も泣いていなかった。
 
 母を守ると誓ったあの日から一度も泣いていなかったのに。

 胴着を抱き締め泣く僕の身体を、母はそっと抱き締めた。

「……逞しくなったな悟飯……悟空さだけじゃなくおめえにまでこの地球の運命を背負わせることになるなんて思いたくもなかった。でもやっぱり、おめえは孫悟空の息子なんだべな」

 僕は声を発することが出来なかった。何か言いたいのに、胸が詰まって声が出なかった。

「……絶対に死ぬでねえよ。おめえまで、このおっ母を遺して死ぬなんてことしねえでくれな」
「……はい……」

 搾り出すように声を発し、更に抱き締めてくる母の身体を僕も抱き締めた。

 何て細い身体なんだと思った。

 幾度も抱き締められたけど、いつも母はあたたかくて、その腕は僕を守ってくれていたのに。

 こんなにも頼りない身体になってしまっていたなんて知らなかった。

「絶対に戻ってきます……人造人間を倒して……絶対に……ここに戻ってきます」

 ここに戻って来れる保証なんて無い。それほどの相手だ。

 だけど倒す。絶対に。

「行ってきます」
「いってらっしゃい」

 身体を離し、母の顔を見る。

 母の顔は涙に濡れてはいたけれど、優しく微笑んでいた。


 東の空から太陽が昇ってくる。

 暗闇から辺りは白み始め、僕は必ずここへ戻ることを決意し、この地を蹴り、飛び上がった。

 父のようになりたくて、父の胴着を持ち出した。
 
 でも母は、父と共に自分の名前も背負えと言った。

 孫悟飯という、父と母の想いの込められた名を背負って。

 僕は闘う。

 平和を取り戻ために。

 父と、自分の名の誇りのために。


 end
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