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□空を見上げて (DB)
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空を見上げて vol.19
悟空がパオズ山の自宅に7年ぶりに帰ってきて3日。
まずはチチと二人で近所で懇意にしている老夫婦に挨拶に行き、事の顛末を話した。
老夫婦は最初こそ驚きはしたものの、意外にも柔軟だった。
その昔、普通に筋斗雲で飛んでいる子供がたくさんいた。
そんな時代に生きていた彼らは悟空の不思議なところも、『今でもこんな若者がいたのか』と自然と受け入れていた。
老夫婦は7年前の戦いのときに戦っていたのは髪の毛の色こそ変わってはいたが悟空ということも知っていたし、今回のブウとの騒動の折に聞いた声がこの男のものであると何となく気付いてはいたし、筋斗雲や舞空術で飛んでいる姿も何度も見かけているので、この男が生き返ったという嘘のような事実も驚きながらもすんなり受け入れた。
逆にパオズ山のこの家族に再び幸せが戻ってきたのだと、涙まで流してくれたのだった。
その他にはセルが襲ってきたときに死んだと思われていた夫が実は記憶を失くして生きていたということにし、とりあえず大事にならずに片付いた。
フライパン山にも挨拶に行った。
フライパン山の住人には結婚式のときに随分世話になり、悟空が常人ではないこともほとんどの住人に認知されていることなので全て真実を話したが、皆涙を流して喜んでくれた。
特に早くに母親を亡くしたチチの面倒を見てきたという老女は号泣に近いほど泣きじゃくり、チチが困惑するほどだった。
「ホントによかったですだお嬢様。婆は何十年と生きてきて、こんなに嬉しかったことはお嬢様の結婚とぼっちゃまたちがお生まれになったときと今度のことくらいですだ」
「大袈裟だべ、お婆」
チチは苦笑しながらも、その瞳には薄っすらと涙を浮かべていた。
悟空はそんな様子を茫然と眺めながら、今更ながら生き返った実感がジワジワと湧いてきた。
生き返った直後はあっという間の出来事だったし、そのまま戦いに出向いたのだからそんなことを実感する余裕もなく。
家に帰ったときは夢心地で、目が覚めたらまたあの世なのではないだろうかとどこかしら半信半疑なところもあって。
それでもほんの少ししか縁のない人たちなのに、自分の帰還を心から喜んでくれている。
家族が喜ぶ姿はどこか自分の妄想ではないだろうか?と思う部分もあったのだけど、こうして滅多に会わない人に喜んで貰っていると、ああ本当なんだ、と思えてきた。
近所の老夫婦も、この老女も、フライパン山の住人も、多少の縁しかない人がこんなにも自分のことのように喜び、涙まで流してくれる。
「なあチチ」
「なんだべ?」
フライパン山の牛魔王の城に『泊まっていけ』と用意された部屋のベッドの上で、ふいに悟空は口を開いた。
この部屋は夫婦二人きり。
子供たちは別の部屋を用意して貰ったが、『おとうさんと一緒に寝る』と駄々をこねた次男は、『久しぶりにじいちゃんと寝るべ』という祖父の申し出をすんなり受け入れて、『じゃあ兄ちゃんも一緒ね』と、兄を引き摺ってさっさと牛魔王の部屋へと消えて行った。
「オラさ、やっと帰ってきたって思えるぞ」
「今まで実感なかっただか?」
鏡の前で長い黒髪を梳きながら、チチは鏡越しに悟空に問いかけた。
「実感なかったっていうかさ、ホントは夢なんじゃねえかって、時々思ってた」
「悟空さ……」
チチの髪を梳く手が止まった。
それはチチも同じだった。今までずっと同じことを思っていた。
櫛を鏡台に置き、チチは振り返って言った。
「……おらも、寝るのが惜しかっただよ。起きたら悟空さ、いねえんじゃねえかって……」
俯き、その長くなった前髪はその顔を覆った。
「チチ……」
悟空はチチに近付き、その頬に触れる。
泣いているかと思った。
でも顔を上げたチチは僅かにその瞳を揺らしてはいるが泣いてはいなかった。
「髪、伸びたな」
死ぬ前は切り揃えられた前髪。でも今は俯くと顔を覆ってしまうほど伸びた。
長男の成長に感じたのと同じ、この妻の髪の長さも離れていた時間の長さを感じさせた。
「前の方が好きだか?」
しかし、見上げてくるその顔は7年前と少しも変わっていない。
何年経っても、愛しいその顔に違いはない。
「いや……オメエならどっちでもいいんだ。でもこっちのがオメエの顔がよく見えていいや」
悟空はニカッと笑い、その顔に自分の顔を近付けた。
キョトンと大きな瞳を見開いて、こちらを見てくるチチの顔を凝視する。
「悟空さ……あんまり見ねえでけろ……おら老けちまったから……恥かしいんだべ……」
顔を赤らめて、チチは目を逸らした。
「どこが? オメエ全然変わってねえじゃねえか?」
「……もう」
少し顔を赤らめて頬を膨らませるチチの顔を見つめる。そんな仕草は昔とちっとも変わっていない。
「もっと見せてくれよ。オメエの顔見てっと帰ってきたんだなって、もっと実感できっぞ」
想像と夢でしか見ることの叶わなかった愛しい顔。
今こうして間近で見ることが出来る。触れることが出来る。
「オメエには本当に苦労をかけたな」
自分を見つめる悟空の真摯な瞳が、チチの胸を締め付ける。
「……こんなの、どってことねえべ」
強がってそう言っても、悟空には嘘だとわかるだろう。
この朴念仁だと思われる夫は、意外にも妻のことはよく知っている。それこそ妻自身以上に。
気が強くてすぐに怒るけど、本当は誰よりも優しくて、傷ついても表に出さない。そして寂しがり屋で幼い頃の長男によく似た泣き虫だということも。
悟空はチチに顔を近付けると、その唇に軽くキスをする。
唇を離すとすぐにその細い身体を抱き締める。
「ヘヘッ、やっぱチチの身体はあったけえや」
「悟空さだってあったけえだよ」
ついこの間まで体温なんて無かった。だけど今はこうしてお互いの体温を感じることが出来る。
悟空の胸に頬を寄せているとドクンドクンと鼓動が聞こえる。
「悟空さ……ちゃんと生きてるだな」
「……ああ」
チチの豊かな黒髪に鼻先を埋め、そして唇を寄せる。
こんなに近くにいることが、どんなに奇跡的なことか。
「これからは一緒に生きてくかんな」
「……これ以上、約束破るでねえぞ」
「わかってるって」
悟空は苦笑して、チチを抱き締める。
こんなにも温かくて、こんなにも愛しい。
チチは年を取ったと嘆くけれど、それは今までチチが生きていた証。だから何も恥じることなどない。
もう二度と離すもんか。
悟空は胸中でそう誓い、チチの温もりを全身に感じた。
翌朝、家族揃って牛魔王の城の外へ出て空を仰いだ。
「ひゃ〜!! 空ってこんなに青かったんだなぁ〜」
悟空は間延びした声を上げて、青く澄み渡る青い空を見上げる。
「んだ」
傍らには最愛の妻。
そして庭で遊んでいる二人の息子と義父。
「やっぱさ、空はピンクじゃなくて青だな」
「そうだべな」
隣で同じように空を見上げて微笑む妻の肩を抱く。
「やっぱり、空は青いのが一番だ」
悟空は再度そう呟いて、眩しそうに空を見上げながらチチの肩を抱く力を強めた。
end