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□空を見上げて (DB)
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空を見上げて vol.23
精神と時の部屋―。
ここでセルとの闘いに備えて悟空と悟飯の親子は修行を始めた。
「今日はここまでにするか」
「……は、はい……」
重力も気温も空気も外界とは違って厳しい状況下での毎日毎日血反吐が出るほどの修行。
生傷も絶えないしボロボロにもなる。発熱することもあったほどだった。
きっとこんな姿を見たら母は卒倒してしまうのではないか、と思うほど、父とピッコロと修行していた三年間とは比べ物にならないほど厳しいものだった。
この環境と修行に慣れ始めた頃、就寝の準備をしている悟飯はふと思ったことを口に出した。
「ねえお父さん。僕がここで修行すること、お母さんよく許してくれたね?」
「ん?」
悟空は既にベッドの上で大の字になって目だけをこちらに向けた。悟飯はそんな父の隣に滑り込んだ。
「だってお母さん、僕が修行をするの嫌がってたでしょ? だからここに入ること、よく許してくれたなあって思って」
「そっだなあ……」
悟空は天井を見上げ、そのままの姿勢で言った。
「母さんはさ、なんだかんだ言ったって最後には絶対に父さんのわがままを聞いてくれるんだ」
「そうなの?」
母は何かにつけ悟飯が武術をすることを反対していた。
悟飯が学者になることが母の夢で、武術など野蛮なことは邪魔だとすら思っている節も見受けられた。
だから修行なんてとんでもない、と憤慨しそうだと思った。
「ああ。母さんはさ、ホントは全部わかってるんだよ」
「……え?」
「オラたちがやんねえといけねえって母さんちゃんとわかってるんだ」
悟飯は父の意外な言葉に思わず身体を起こした。
「……わかってるんだけど、認めたくねえんだ」
「……認めたくない……」
悟飯は悟空の言葉を反芻した。
「ああ……母さんはな、オメエが危ねえ目に遭うのが何よりも怖いんだ。だからどうしても反対したくなっちまうんだ」
悟飯は父の言葉に目を瞠った。
「……ただ、オラたちが傷付くのが見たくないんだ」
悟空とチチが結婚した天下一武道会。
あのときピッコロと戦って、悟空は肩を貫かれた。
仙豆があったからこそ助かったけれど、本来ならば死んでいてもおかしくないほどの傷だった。
その現場にチチも居合わせた。大きな目に涙をいっぱいに溜めて、声を震わせて悟空の名を叫んだ。
一緒に住むようになって、無茶な修行をして怪我をして帰ってきたときなど、そのときのことが脳裏に過ぎるのだろう。やはり大きな目に涙を溜めて『無茶するな』と怒鳴るのだった。
その頃の悟空は『大したことねえって』と言って笑って、チチの心境など考えたこともなかった。
一度死んで、また怪我をして入院したときでも、傍目には気の強い恐妻に見えただろう。
しかし、いつも一緒にいた悟空にはわかった。明らかに憔悴して痩せているチチの姿。
そのとき初めて気が付いた。自分はどれほどチチに心配をかけてきたのだろう。自分のせいでチチはどれほど胸を痛めてきたのだろう。
チチはいつだって気丈に振舞ってきた。世界一の武道家の妻として、悟飯の母として、強くあろうとした。
悟空もそんなチチに甘えていた。口では働けと文句を言いながらも最後には許してくれるチチに。
いつだって自分を戒めて、それでも理解しようとしてくれていたのに。
なのに自分はチチを傷付けてばかりだった。
わかっているつもりだったのに闘いとなるとそのことを忘れて、またチチに我が侭を言った。
悟飯を鍛えること。
きっとチチにとっては身を切られるほどに辛いことだろう。
しかし、
『どうせ強くするなら、うんと強くしてやってけれ』
チチは強い目でそう言った。
コイツには一生勝てねえ。本気でそう思った。
「……そうだったんだ……」
悟飯が武術をやることを母が頑なに反対してた理由は勉強の邪魔になるからと思っていた。
その気持ちもあるだろうが、本当は自分たちが傷付くことを何よりも恐れていた。
地球よりも悟飯の勉強の方が大事だと言った母の本当の気持ち。
本当は闘いなんかに巻き込みたくない。息子を危ない目に遭わせたくない。母なら、親なら誰でもそう思うものだ。
悟飯はそんな母の心情を慮ることがなかったことを後悔した。
そんな悟飯の気持ちを読んだように、悟空は目を細めて言った。
「だけどな悟飯、母さんは許してくれたんだ。オメエをもっと強くしてやってくれってそう言ってた」
「お母さんが……?」
あれだけ武術をすることを頑なに反対していた母が……?
悟飯が悟空の顔を見ると、悟空は優しく微笑んで頷いた。
チチという人間は実は何もかも受け入れることが出来る人間だった。
かつて悟空を仇敵として命を狙っていたピッコロさえも、共に生活をする上で親戚のように受け入れた。
地球の運命をかけて闘う。それが孫悟空と、その息子である悟飯の宿命だと、受け入れた上で送り出したのだろう。
三年前は人造人間との闘いが終わるまではと武術をすることを許し、ピッコロを救いに宇宙へ行ったときも渋々ではあったが送り出した。
やはり最後の最後には許容する。それがチチという人間だった。
そして孫悟空という、地球の運命を背負うことになる男の妻になったときから、いや、きっと好きになってときから、心のどこかでこういう日がくることを覚悟していたのかも知れない。
「だからさ、母さんの為にも地球を救わねえとなんねえ」
いつも勝気で、父やその仲間を怒鳴りつけている母は、本当は闘いなど好まず、ただ家族で平和に暮らすことだけを願っている人だった。
家族が幸せであることだけ、願っている人だったと悟飯は気が付いた。
サイヤ人という好戦的な戦闘民族である悟空たち親子を、普通の地球人として夫として息子として、闘いだけではないことを思い出させてくれていたのは実はチチだった。
『異星人がなんだ?サイヤ人がなんだ?戦闘民族がなんだ?そんなこと関係ねえ。悟飯は勉強さして偉い学者さなって、悟空さは修行もいいが働くことも考えてけれ』
気の強そうな目でそう言った。
無関心なのではない。チチにはサイヤ人であろうとなかろうと、悟空は自分の愛しい夫で悟飯は可愛い息子であるという事実だけだった。
チチがそんな風に接してくれることが悟空には嬉しく思えた。思わず口角が上がったことでまた怒らせたのだが。
チチがそう言ってくれるだけで、自分には帰る場所がある。そう思えた。
そんなチチの為にも、平和を取り戻さなくてはならない。
「だけどセルは本当に強ええ。今のオラたちじゃ勝てねえ」
「……」
「……もっともっと修行して、セルを倒せるくれえ強くなんねえとな」
悟空は身体を起こし、悟飯に向き直った。
可愛い息子を闘いに巻き込もうとしている酷い父親だ。息子を一人の戦士と見ている。自分は父親失格だ。そんなことは悟空も自覚している。
それでも、悟飯の力が必要だった。この小さな身体に秘めている力が。
この地球に平和を取り戻すためには、この息子の力が不可欠だった。
だけど悟飯は拳を握り締め、
「……はい!!」
チチと同じ強い目をしてはっきりと返事をした。
酷い父親であろうと、この息子はこの父に付いてきてくれる。
悟空は何だか鼻の奥が痛んだ。
「……さあ悟飯。もう寝るぞ。明日もビシビシしごくからな」
悟空が誤魔化すようにそう言うと、
「はいっ!!」
悟飯は大きな声で返事をし、「おやすみなさい」と言って目を瞑った。
夜更け、悟飯がグッスリと眠っているのを確認して、悟空は静かにベッドを抜け出し建物の外へ出た。
空を見上げる。
しかしここは精神と時の部屋。本当の空ではない。
だけど、ここの空と今チチの上に広がっている空が続いていると思いたい。
「……ぜってえに……勝つからな」
悟空はそう宣言するように静かに呟き、先程の悟飯と同じように拳を握った。
end