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□空を見上げて (OD)
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空を見上げて(OD)vol.3
7月7日。
湾岸署の入口横に飾られた七夕飾り。
そこには色とりどりの飾りと地域の子供たちの短冊。
青島とすみれはそれを見上げている。
「いろんな願い事があるもんだねえ」
「『カリスマモデルになりたい』?『玉の輿にのりたい』?」
すみれはそこに書かれた子供たちの願い事を読み上げる。
「俺たちのときには考えらんねえなあ」
青島は苦笑しながらそれを見る。
「でも『ケーキ屋さんになりたい』とか『看護士さんになりたい』とかはあたしたちのときも多かったわよ」
「でもケーキ屋じゃなくて今は『パティシエになりたい』だよ?時代だねえ」
「何おっさん臭いこと言ってんのよ。うわ、『大統領になりたい』ってのまである」
すみれが目を見開いて言う。
すると青島は笑いながら言った。
「この場合は『総理大臣』じゃないの?」
「大人ってや〜ねえ。すぐに揚げ足を取る。外国人の子かも知れないじゃないの」
すみれは眉根を寄せて手をひらひらと振った。
「それこそ揚げ足じゃないの?」
青島が意地の悪そうな顔で言うと、
「何?」
すみれは青島を見上げて睨む。
「こりゃ失敬」
その視線に青島はすぐに彼女の常套句を吐いた。
「それにしても国家元首になりたいってんだから大したもんだよな」
「いいんじゃないの?目標が高けりゃ高いほど」
「まあね」
「でも今の子供ってなりたい職業がないって子が多いんだって」
なりたい職業がある子供が昔に比べれば減少しているらしい。夢を持つこともなくなったのか。すみれは何だか居たたまれないものを感じ、溜息を吐いた。
「俺はあったけどなぁ」
「青島君って何になりたかったの?」
「俺?俺はね、正義の味方かな」
「青島君らしいわね」
すみれはクスクスと笑った。
そんなすみれの顔を覗き込み、青島はすみれに聞いた。
「すみれさんは?」
「あたし?……何だったかしら?」
顎に人差し指を当て、呟く。
「覚えてないの?」
「その都度変わったっていうか……はっきり覚えてないのよねえ」
「じゃあ今の願い事は?」
「今?そうねえ……」
『お嫁さん』なんて可愛いことを言われた日にはどうしようかと思う。衝動のまま何かしてしまうのじゃないだろうか?などと青島は自分に、ほんの少しだけど自信が無くなりそうになった。
だけど、
「別にないわ」
「え?」
何かを期待していた分だけ脱力感がこの身を覆う。でもよく考えばすみれが『お嫁さん』を夢に上げるわけがない。
いや、そう思っていたとしても、それを人前、特に青島の前で口にするとは思えない。
「何にもないの?」
それでも重ねて聞いてみる。
「う〜ん……じゃあ現状維持で」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
現状維持?
「現状維持。大事なことよ。簡単そうで結構難しい」
「そりゃそうだけど……」
何だか呆気にとられた。まさかその答えがくるとは思わなかった。
確かに現状を維持するということは難しいが、それを願い事にするとは……。
「願い事ってのとはちょっと違うかしら?」
すみれは尚も人差し指を顎に当てたまま言った。
「でも、何で現状維持なの?」
敢えて聞いてみた。
「さっきも言ったけど、現状維持ってのは本当に難しいのよ。今のまま、ずっとこのままでいるってことは」
すみれは短冊を見つめながら続ける。
「でもね、いつまでもこのままってわけにはいかないじゃない?いつか変わらないといけない」
「……そうだね」
「そのときは自分の力で何とかするわ。変わらなきゃいけないそのときが来たら、自分で変わる。だからそのときまで、現状維持でいたいのよ」
今度は真っ直ぐに、青島を見据えて言った。
「……すみれさんらしいや」
青島はそんなすみれに口角を上げた。
「でしょ?」
すみれも青島の顔を見ながら綺麗に笑った。
変わるそのときまで現状維持。
それはきっと自分たちの関係のことだ。
自分には少し辛い時間かも知れない。でもそれ以上に心地いい時間でもあるのだ。
きっとすみれも同じ気持ちなんだろう。
今のこの環境が、二人の間が心地よくて、きっと変わることを拒んでいる。
それでも、変わらないといけないとわかっている。
だからそのときまで、現状を維持していたいのだ。
青島にもすみれの気持ちが何だかわかった気がした。
「あ、でも今願い事が出来た。青島君にしか出来ないことよ」
「なになに?」
期待してはいけないと思いつつも、つい期待してしまう。青島は身を乗り出して聞いた。
「お腹空いた。奢って」
「へ?」
お腹が空いた?
「だからお腹空いた」
思わず噴出す。
「なによ」
子供のように頬を膨らますすみれが可愛い。
やはりそうか。期待はするもんじゃない。だけど、すみれらしくていい。
「いや、今のが一番すみれさんらしいよね」
ハハハと笑いながら今思ったことを口にすると、
「何ですって?」
下から睨まれた。
「こりゃ失敬」
本日二度目の彼女の常套句。
「じゃ、何か食べて帰ろっか?」
「やった!!」
青島が苦笑しながら言うと、すみれは嬉しそうに笑った。
そして二人で並んで署を出た。
今日は生憎の曇り空。
ここからは天の川は見えないけど、彦星と織姫はこのもっともっと上で逢瀬を重ねているのだろう。
二人には悪いけど。
自分たちはこんなにも近くにいるんだ。
二人のような関係でなくても、こんなにも近くに。
今はそれでいい。
いつか、変わるときがくるから。
青島とすみれは同時に空を見上げた。
end