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□空を見上げて (OD)
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空を見上げて(OD)vol.4


「夏ね」
「そうだね」

 空を見上げれば入道雲。気温や日差しなどを無視すれば、夏になった証拠とも言えるだろう。
 ふと隣を見ればすみれさんも屋上の柵に身を預けて、同じように空を眩しそうに見上げている。
 屋上だから風は結構ある。しかし、夏特有の生温く、湿気を帯びた風であまり心地いいとは言えない。
 上着こそ自分のデスクに置いてあるが、シャツは長袖なので、その袖を捲る。
 すると幾分かは涼しくなったと思う。
 しかし隣の彼女はいつも長袖だ。
 汗ばむ季節も、いつも長袖。
 
 それは彼女の腕に傷があるからで。

 ストーカーに付けられたその傷を隠すように、彼女は夏でも長袖を着ている。
 どんなに猛暑日であろうと、彼女は決して半袖を着ない。
 そこにある傷が原因で婚約を解消したのだと聞いた。

 ふと視線を彼女の腕に向け、そして胸元に向けた。

 ブラウスを着るときはいつもきっちりとボタンが留められている。しかし今は暑さのためか少しだけ開いた胸元。だけど少し、それはほんの少しだけ。

 そこには傷があるから。拳銃で撃たれた傷。

 どうしてこんなにも彼女が傷つかなくてはいけないのだろう。
 どうしていつも彼女なのだろう。

「いやらしい」
 突然、彼女は自分を睨みつけてきた。

「へ?」
「今胸元に視線感じた」
「な、何言ってんのよ。すみれさん、自意識過剰なんじゃない?」
「なんですって?」
「こりゃ失敬」

 君の傷のことを考えてました、なんて言えやしない。
 それならば胸元を見ていた不埒な男、と思われた方が僅かではあるがマシだ。

 でもきっと、彼女は自分が何を考えていたのか知っている。
 知っていて、わざとはぐらかすような物言いをする。

 それはお互いに触れたくないこと。
 触れられないこと。

 彼女には忘れて欲しいこと。

 だけど、自分だけは忘れてはいけないこと。

 一度、この腕の中から零れ落ちてしまうんじゃないかと思ったその尊い命。
 きっと、この自分よりも大事だと思える魂。

 あのときのことを、自分は決して忘れてはいけない。


「あー、かき氷食べたーい」

 ふいに彼女は言った。

「いいねえ氷イチゴ」
「あたしは宇治金時かなあ」

 空を見上げてそう言う彼女に太陽の日差しが燦燦と降り注ぎ、その白い肌をキラキラと輝かせる。
 その眩しさに思わず眩暈がした。

「ね、食べたい」
「へ?」

 彼女に見惚れていたところに、その目を輝かせてこちらに向けたので心臓が跳ねた。

「食べたい。帰りに食べて帰ろ?」
「え?あ、うん。いいね」
「奢りでしょ?」
「また?てか言いだしっぺはすみれさんじゃない?」
「男が細かいこと気にしない」
「……はいはい」

 彼女には決して勝てない。勝てやしないんだ。

 勝とうとも思わない。それでいいと思う。

 彼女がここにいるだけで。彼女の魂が、命が、ここに息づいているだけで。

 自分にはそれだけでいい。

「……事件、起こらねえよなあ……」
 思わずうんざりと呟く。
「あまり余計なことは言わないでよ。起こっちゃうじゃない」
「俺が呼んでるんじゃないよ」
「さあ、どうだかね」

 なんて憎まれ口を叩き合っていることも、あのときにこの命を取り戻せたからだ。


 夏の日差しは容赦なく降り注ぐけれど。

 彼女はもう露出した服を着ることはないかも知れないけれど。


 それでも―

 ここにあるこの命に代えられるものなんて、決してないのだから。


 end
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