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□空を見上げて (OD)
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空を見上げて(OD)vol.5
真下署長の息子が誘拐された事件が無事解決した後、バスで突入したすみれは病院へ直行し、少しの打撲とかすり傷という診断を受け、形ばかりの事情聴取の為に湾岸署に戻ってきた。
課長の魚住に提出した辞表もまだ受理されずに彼の手元にあり、室井の計らいによりバスでの突入も捜査の一環ということになり、始末書提出という形で片が付いたと聞かされた。
とりあえず始末書を提出したら休暇ということにしなさい、という魚住の言葉を素直に聞き入れ、すみれは一度離れたはずの湾岸署にまだいる。
そして屋上で空を見上げていると青島がやってきた。
青島は柵にもたれるすみれの隣にやってくるとふいに口を開いた。
「ねえ、すみれさん」
「……うん」
すみれも青島も空を見上げたまま。
そして青島は言葉を紡いだ。
「俺さ、すみれさんが弱音を吐ける男じゃないんだって思ったらさ、自分が情けなくなった……」
『我慢すんじゃねえよ。我慢せずに弱音吐きゃいいだろうが!』
『言えるかい、バカ亭主に!』
ここでした会話を思い出す。
張り込みの思い出を語らった、あのときの会話。
「青島君っ……」
青島の言葉にすみれはハッとなり、彼に向き直った。
「すみれさんがどんなに辛くて、どんなに悩んだか、俺、全然わかってなかった」
「……」
青島は空を見上げたまま。その横顔は悲しみと後悔が混じっているように見えた。
今回のことはすみれの独断だった。すみれの去就だから誰の意見も関係ないだろう。だけど、一言でもよかった。相談して欲しかった。
「すみれさんはいつだって俺の傍でずっと刑事をやってるんだって信じて疑ってなかった。すみれさんがいなくなるなんてこと、考えたこともなかった」
いつだって自分の傍にいる。
いつだって『奢って?』と無邪気に笑う彼女がいる。
いつだって自分に叱咤激励してくれる彼女がいる。
それが当たり前で、当たり前すぎて、彼女がいなくなるなんてこと、あるわけがないと高をくくっていた。
「……」
「ううん、違う。考えたくなかったんだ。すみれさんがいなくなるなんて、絶対に考えたくなかった」
本当は怖かった。
一度、この命を失いかけた。だから余計に彼女がいなくなるなんてことを考えられなかった。
考えてしまうとあのときの恐怖心が蘇る。
あのとき、絶対に失いたくないと思ったものを、失うかも知れないなんてこと二度と考えたくなかった。
青島の顔が苦痛に歪む。
「青島君……」
「本当は弱虫なんだよ俺は。こんな俺だから、すみれさんだって弱音なんか吐けなかったんだ。俺はいつだってすみれさんの存在に甘えてたのに、すみれさんのことを慮ってなかった」
「そんなこと……」
「そんなことあるよ。それに俺はいつだって捜査と自分のことばかりだ」
だから、和久にすみれの身体のことを聞かされるまで気が付かなかった。
そんな自分があまりにも不甲斐なくて情けなかった。
『言えるかい、バカ亭主に!』
見透かされた。そう思った。こんな自分だから、彼女は弱音を吐けなかったんだ。
「違うのっあたしはっ」
「すみれさんが弱音を吐くのが嫌いだってわかってるよ。だけど……俺はすみれさんが弱音を吐ける男になりたい」
「青島君……」
「俺はね、すみれさんが泣いてたらその涙を止めてやりたいって思う。すみれさんが笑ってたらその隣で一緒に笑いたいって思う」
もっともっと強くなりたい。彼女が安心して笑って泣ける場所でありたいと願う。
そして青島はすみれに向き直り、意を決したようにその言葉を口にする。
「大事なんだよ、すみれさんのことが誰よりも」
青島はすみれを見つめる。愛しさを込めた瞳で。
「だから……いなくならないで」
もはや懇願だった。こんな自分だけど、ずっと傍にいて欲しい。
彼女がいないと、きっと自分は走れない。
「……あたしだって……心配なのよ、青島君のことが」
視界が歪む。すみれは自分が泣いていることを自覚した。
本当は泣きたくない。だけど、いろんな思いが溢れ出る。
「あたしが目を離したら、どんな無茶なことするかわかんないし……」
自分が抱いてきた不安も。
「だね」
「また怪我するんじゃないかって思ったら、胸が張り裂けそうになるし……」
青島を愛しく思っていることも。
「……うん……」
「だからっ、本当は刑事を辞めて大分に帰るなんてこと、したくないけどっ」
その言葉は言いたくなかった。その言葉を口にすることを、その意味を、本当は認めたくなかった。
「ここにはもう……あたしの居場所はないっ」
だけどすみれはその言葉を口にした。
刑事という仕事がもう出来ない自分には居場所などない。こんな無力な自分など、ここには必要ない。
そう思って、すみれは刑事を辞める決心をした。
だからもうここには戻らないつもりで、部屋も引き払った。
ここは思い出が多すぎる。自分の人生そのものだと言っても過言ではないこの場所の近くにいることは、とてもじゃないが出来そうになかった。
「あるよ。俺がすみれさんに傍にいて欲しいって思ってるんだ。それだけで居場所はある」
だけど青島はきっぱりと言い切った。はっきりと、有無を言わせず。
「すみれさんの居場所はここなんだ」
そう言って、青島は自分の胸を叩いた。
「青島君……」
いいの……?あたしはここにいていいの……?
「ずっと傍にいてよ。ずっと俺のこと、傍で見張っててよ」
限りなく優しい瞳で、青島は自分よりも幾分も身長の低いすみれに目線を合わす。
すみれはその目を大きく瞠り、青島を見つめた。
青島の真摯な瞳。愛されてると実感できるほどに優しい瞳。
本当はわかっていた。この人が自分を大事に思っていたことも。
自分がこの人から離れることが出来ないことも。
「…………うん」
すみれはそう頷くとポロポロと涙を流した。
青島はそんな彼女の顔を自分の胸に押し付け、そして優しく抱き締めた。
すみれは青島の胸に顔を埋め、泣き続けた。
「ねえすみれさん……」
「……」
青島はすみれを抱き締めながら困ったように声をかける。
「そろそろ泣き止まない?」
「……青島君が泣かすようなこと言うから……」
すみれは青島の胸に顔を埋めたまま答えた。
「俺のせい?」
「青島君のせい」
泣きながらも間髪入れずにそう言うすみれに苦笑する。
「え〜……ま、いいけどさ」
青島はすみれの髪を愛しげに撫でる。
「一緒に幸せになるんだからさ、笑おうよ?」
優しい声音の青島の言葉が胸に沁みる。
そんなこと改めて言われると、余計に顔を上げられなくなる。
「……嬉し泣きだもん」
嬉しくて、涙が止まらない。
青島はそんなすみれを抱き締める力を強める。
「なら仕方がないか」
嬉しそうに笑いながら、限りなく青い空を見上げた。
死ぬまで共にあるのはこの人だと、ずっとずっと前からわかっていたのに。
お互いに同じ気持ちでいたのに。気付いていたのに。
心地いいこの関係を崩すことが怖かった。
だけど、本当は壊れることなんてあるはずもなかった。
弱虫な自分たちは、お互いを失いたくなくて動けずにいた。
だけど、そんな関係も今日から変わる。
これからは二人一緒に。
ずっと、ずっと傍に―。
end