雨の日の唄

□雨の日の唄91〜120
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雨の日の唄106


 まだドキドキは止まらない。

 僕がつい(何の下心もなく)発した一言。


『何て言うか……動きのひとつひとつがまるでダンスのようで、とってもキレイなんです。流れるような動作って言うんですかね? 時々見とれちゃいますよ、僕』


 これって、ある意味告白なんだろうか? 僕にとっては本当に何の曇りもないことなんだけど……。よくよく考えてみると凄い言葉なのかも知れない。

 でもビーデルさんはそうとはとっていないようで……。

 天然らしい僕の言うことだから、ただの感想というか、そういう風にとったようで……。

 そう言ってニコッと笑うその笑顔は僕の心をねじ上げた。

 僕にとってビーデルさんの笑顔は凄い破壊力を持っている。

 でもねじ上げられると同時に、僕の顔も緩んでいることに気付いた。

 ビーデルさんの笑顔を見ていると、何だか自分も嬉しくなって。

 昔お父さんがお母さんの笑顔につい顔を綻ばせていることに気付いていなかったことを思い出した。


『嬉しそうだね? お父さん』
『え? そっか?』

 あれは人造人間が襲来するときに備えてピッコロさんと修行していた頃、修行中に見つけた花畑に家族で行ったときのことだ。

 花の好きなお母さんに満開の花を見せてやろうと、家族でお弁当を持って。

 たくさんの花に囲まれて終始笑顔だったお母さんの顔を見ているお父さんが凄く嬉しそうな顔をしていたので、つい聞いてみた。

 そのときのお父さんの反応に、こんなにも嬉しそうな顔をしているのに何で気付いていないのかな?などと思ったのだけど、本当に無意識なのだということはビーデルさんを好きだと自覚して初めて知った。

 好きな人が笑っていると何だか嬉しい。好きな人が笑顔だと自分まで笑顔になれる。

 そんな風に感じることが、また幸せだと思える。

 お父さんの場合、あまり態度に表さない人だった(昔は)。

 だけど、そんなお父さんであってもお母さんが笑っていると嬉しそうに笑う。無意識に幸せだと感じていたのだろう。

 今でこそお母さんが大好きだというオーラ全開(まあ悟天と競っているところもなくもない)で、昔よりも感情の表現が多彩になった分、お母さんへの想いもストレートであって。

 昔はやはり父であり師匠であったお父さんだけど、今では対等というか、一人の男としてお父さんと接することが出来るようになったようにも思う。

 僕もあの頃のような子供ではない。

 父と母の後ろに隠れて泣いていた子供ではなくて、ビーデルさんを一人の女性として、いや、好きな人として守りたいと思う。

 この気持ちはお父さんを初めとして、クリリンさん、そしてベジータさんも同じ気持ちを持っているのだろう。

 時には切ないとも思うこの気持ちだけど、それ以上に幸せなのだと思える恋をするということ。

 普通とは違う子供時代を送ったけれど、それでも嫌だったと思ったことなどない。

 普通の子供が味合うことのないことだったけど、一日一日がすごく濃密な時間だったようにも思う。

 泣き虫な僕がお父さんの最初の死によってピッコロさんという師匠に出会い、いろんな経験もした。

 それにパオズ山だけだった自分の世界がいつの間にか地球全体、いや、宇宙にまで広がった。

 そうした境遇の中で経験したことは普通に生活する中では必要のないことかも知れないけれど、それでも僕にはとても重要なことだった。

 そんな僕が手に入れた普通の生活。

 そして恋をするということ。

 どんなに普通のことでも、それがどんなに尊いことか。


 今は昔とは打って変わってすごく平和で、ゆったりとした時間の中、お母さんと悟天と、そして、生き返ったお父さんと、それこそゆったりとした時間を過ごしていくことになるだろう。

 そして将来、このゆったりとした時間の中に、この、ここにいるビーデルさんがいてくれたら……。

 そんなことを考えてしまい、更に顔が熱くなるのがわかった。


 end
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