雨の日の唄
□雨の日の唄91〜120
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雨の日の唄112
「……もういい加減にしてけろよ、悟空さ……」
「ヤダ」
チチを抱き込んだまま離さなかった。
胸のあたりからチチが大きな溜息と共に睨んでくるのがわかったが、そんなのお構いなしだ。
別に今は不埒なことをしたわけではない。ソファーに腰掛けて、ただチチを抱き締めてるだけだ。
さすがに昨日からずっとチチに無理させてるから今は我慢している。
だから抱き締めるくらいいいではないか。
チチの身体を抱き締めてるだけで落ち着く。
ザワザワして無茶してしまうことの方が多いけど、本当はチチの全てが自分に安らぎを与えてくれるのだ。
チチは自分に数多くのものを与えてくれた。
衣食住どれをとっても昔の自分はともかく今の自分にはチチなしでは有り得ないものだし、何より二人の息子を産んでくれた。
こんな自分が子供を持てるのは何よりチチのお陰だ。自分の子をその細い身体で十月十日も育んで、身を引き裂かれる思いをしてまで産んでくれた。
出産のときのチチの呻き声と気の乱れを思い出すと今でも身震いを起こしそうな、そんな苦しみ方だった。
このままチチが死んでしまうのではないか、と義父に泣き言めいたことを言ったら、義父は、
『大丈夫だムコ殿。女ちゅー生きモンってのはな、そんなに弱くねえだよ』
そう言って笑った。
『何でだ?オラより弱いしあんなに細いじゃねえか? オラ、ギュッとしたとき潰しちまいそうでたまに不安になっぞ』
自分が明け透けにそう言うと義父は少し頬を赤らめた。
『そ、そんときはオメエも優しくしてやんなきゃな。でもな悟空さ』
義父はすごく優しい顔になった。
『女ってのはな、実は男よりも強いんだべ。それは力が強いということでねえ』
自分がどういうことだ?と問うと、
『女はこうして子供を産む。それは女にしか出来ねえことなんだべ。十月十日も自分の腹さ子供を宿して、ずっと育ててるんだべ。そんでだんだん腹の中で子供もデカくなっていく。産むのだってそりゃあ困難なことなんだべ』
子供を産むということは大変だと死んだ祖父にも聞いたことがあった。自分も自分の母がその腹を痛めて産んだのだと。
お前は捨てられたかも知れないが、そんな思いをしてまで産んだ子供だ。だから何かお前の親にも事情があったんだろう。決して恨んだりするではないぞ。と。
その事情というものは大人になってから知った。
義父の話を聞いて祖父に聞いたことを思い出した。
『子供をその身に宿してる間に、女ってのはどんどん強くなるんだ。身も心も、どんどん強くなっていくんだ。そりゃあ男には考えらんねえくれえにあっちゅー間にな。今まで出来なかったことも平気でやってのけるようになっちまうんだべ』
義父にも身に覚えがあるのだろうか、懐かしそうな顔をした。
『そうなんか?』
『ああ。子供を産めるのは女にしか出来ねえことだ。男は逆立ちしたって出来やしねえ。女ってのはな、本当は男よりも凄くて強いモンなんだべ。だから大丈夫だべ』
それでもずっと聞こえてくるチチの呻き声。思わず耳を塞いでしまいたくなるほど、その声に不安を覚えた。
握る手に汗が滲む。こんなに不安になるほどにチチを失うことが怖くなっていた。
そのうちに赤ん坊の大きな泣き声が聞こえてきた。
そのとき、チチの気が落ち着いたものへと変わると同時に、強く、優しいものに変わったことにも気が付いた。
ハッとした。そんな自分に義父は微笑んでいた。
それからチチは日に日に強くなっていった。気も強くなっていったけど、それだけではなくて身体の底から強い気を感じた。
自分たちが普段言うところの『気』とは違うもの。
それが母となって強くなったチチの気なんだと思った。
その気は以前のそれと比べて優しさが増したことにも気が付いた。それは自分にとっても随分心地いいもので。
母を知らない自分はが初めてまともに母という存在に接したのに、何故かその心地よさを知っているような気もした。
遠い記憶の奥底に母の記憶があるのだろうか。そんな風にも思った。
「オメエを抱いてると落ち着く」
「おらは悟空さの抱き枕か?」
「ハハッ、そうかもな」
胸元で頬を膨らませている様子がわかる。
「でもさ、オメエにギュッとされるともっと落ち着く」
「……仕方がねえ旦那さまだべなぁ……」
チチはそう呟くと、自分の身体を抱き締めてきた。
「ヘヘッ」
「うちでおめえが一番子供だべ」
ハア……と小さく溜息が聞こえた。でもその後にクスッと小さく笑ったのもわかった。
チチは自分にいろんなものをくれる。
あたたかい空間。自分の血を引く子供たち。絶対的な愛情。そして安らぎ。
いつだってその大きな愛で、自分を包んでくれる。
自分は母というものを知らない。
きっと自分は、チチに母を求めているのかも知れない。
妻であり恋人であり、そして母であるチチ。
そんなチチの傍にいることが、そう、ここが宇宙で、いやこの世もあの世もひっくるめたどこよりも一番の安住の地なのだ。
end