series
□空を見上げて (DB)
8ページ/26ページ
空を見上げて vol.7
もうすぐいなくなるかも知れない人の傍にいることが、
こんなにも辛いって知らなかった。
「お父さん、食料の調達に行ってきますね」
両親の寝室のドアを開け、悟飯はベッドのヘッドボードに背中を預けている父に声をかけた。
「おう。行ってこい」
父はニッコリと笑って悟飯を送り出した。
台所で炊事をしている母にも声をかけ、悟飯は玄関を出て地を蹴り、飛び上がる。
ふと家の上空から両親の寝室の部屋の窓を見やると、父がジッとこちらを見上げていた。
その瞳は限りない優しさと憂いを帯びている。
悟飯がこちらを見たことに気付くと、父は優しく微笑み、手を振ってきた。
悟飯はそれに答えるように笑顔で大きく手を振り、そしてすぐに方向転換をし、パオズ山に入って行った。
悟飯の父、悟空はウイルス性の心臓病に侵されていた。
しかも現代の医学では完全に治癒することが出来ない病気なのだという。
父が病魔に侵されたのは宇宙から戻ってきてしばらくした後のことだった。
最初は都の病院に入院していたのだったが、もう治る見込みもないこと、父がパオズ山に帰ることを希望したこともあり、母が父の気持ちを汲み、主治医に頼み込んで自宅療養が許された。
それから身体が動くときはパオズ山のいろんな場所を巡った。
山や谷や、魚を採りに入った川や、家族の思い出が詰まった場所。
思い出をその脳裏から思い起こし、そして刻み付けるように。
悟飯ももちろん付き合った。
しかし、傍にいればいるほど、その屈強だった身体が痩せ衰え、弱々しいものへと変わっていくさまを見せ付けられる。
それが悟飯には辛かった。
父の病を知ったとき、その治療法が今の時代には存在しないと伝えられたとき、悟飯の心にポカンと大きな穴が開いたように感じられた。
何でお父さんなんだろう?そんなことも思った。
それからずっと父の傍にいようと思った。でも、傍にいることがこんなにも辛い。
父の傍にいるだけで、悟飯は涙が出てきそうになるのを堪えた。
胸が潰れるかと思うほどに、父の傍にいることが怖かった。
父が、死に一歩一歩近付いていることが怖かった。
だから食料調達と称し、今日もパオズ山の奥深くにやってきた。
ここなら誰も来ない。自分ひとりになれる。
自室でもひとりになれる。しかし、耳のいい父には自分の押し殺した嗚咽さえも聞えてしまうかも知れないと危惧し、悟飯はパオズ山の奥深くまでやってきてはこうしてひとりになった。
昔、父が切り倒した木の切り株に腰を下ろす。そして膝を抱えた。
その瞬間、堪えきれないものが溢れ出した。
小さく洩れる嗚咽はそのうちに大きなものへと変わる。
嫌だよお父さん、嫌だ嫌だ、いかないで!!
声にならない声で叫ぶ。
いくら泣き叫んでも、父が良くなるわけではない。
毎日毎日そう自分に言い聞かせて、溢れ出てくるものを止めるように天を仰ぐ。
すると木々の隙間から青い空が見えた。
初めて父と空を飛んだのはいつの頃だろう。
物心ついた頃からいつも筋斗雲の上で父の膝の上に座っていた。
髪を風になびかせて、父と、時には母と三人で空を飛んだ。
あの頃の思い出はまだ色褪せてはいないのに、なのに病気は父を蝕んでいく。
それを考えると胸が潰れそうになる。胸が痛くて、涙がまた溢れ出てくる。
とにかく泣いてしまえ。ここでは、お父さんの前ではないここでは、泣いてもいいのだから。
毎日泣いて泣いて泣きつくして、そして父の前では普通の、いつも通りの自分でいる。
いつも通りでいることがこんなにも難しいことだったなんて、思いもよらなかった。
でも父が安心するように、いつもの自分でいようと悟飯は誓った。
悟飯は今日も空を見上げる。
父がずっとここにいてくれるように。
それが不可能ならば、父の傍にいられるだけの勇気が自分に備わりますように。
悟飯は青い空に願い込めた。
知りたくもなかった。
もうすぐいなくなるかも知れない大事な人の傍にいることが、
こんなにも胸の潰れる思いをすることなのだということを―。
end