お題・英単語
□delicious-おいしい-
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「うーん、美味しい!!」
「そりゃよかった」
向かいの席でパスタを食べて満面の笑みを浮かべる彼女の顔を見てこちらも微笑む。
『キャビアよりも高いもの』をお詫びに所望する彼女を何とか説き伏せて、手頃で小洒落たイタリアンレストランで手を打って貰った。
しかしながら彼女に奢ることなど別段珍しいことでもなく。
普段から時間さえ合えば一緒に食事をして帰ることはよくあることだ。
それはラーメンであったりうどんであったり、それこそ定食であったり。
どちらかと言えばかしこまって食事するというよりも手軽で気の張らないものの方が多い。
彼女も口では高いものが食べたいなどと言うが、いざ店を決めようとするときはそんなに高いものは言わない。
奢れと言うわりにはそれが彼女なりの気の使い方だから、いつもつい笑みがこぼれてしまう。
しかし今回はいつもとは違う。いわゆるデートと言ってもいいのかも知れない。
だが、そう思っているのはきっと自分だけだろう。
何せ彼女はいつも通りなのだから。
この間の事件で彼女には心底心配させた。
自分の余命が幾ばくも無いなどと思わせて、その上落ち込む自分に叱咤激励までくれて。
お詫びの一つや二つ、安いものだとは思ったけれど。
さすがに『キャビアよりも高いもの』にはどうしたものかと思った。
いつもならば安いものでも『仕方がない』という態を見せる彼女も、今回はそうもいかなかった。
『あれだけ心配させたんだから、キャビアよりも高いものでも安いくらいよ』
そう腰に手を当てて、しかも胸を張ってのたまう彼女の姿には少し寒気を感じたものだが。
それでもこの小洒落たイタリアンレストランを彼女の愛読書で探し出して、これでお願いしますと頭を下げた結果、『ま、仕方がないわね』と承諾してくれた。
まあ本当は彼女がこのレストランのページに付箋を貼っているのをこっそり覗いてチェックしたのだが……。
早速同じ非番の日に予約を入れて、外で待ち合わせることにした。
なんだか新鮮だった。
どうせ暇でしょ?と言うと睨まれたが、映画でも奢るよ?と言うと、『行く!!』とはっきりとした返事が返ってきた。
そんな彼女を可愛いと思いながら、とりあえずいつものコートはマズイな、と思う。
映画館で待ち合わせてイタリアンレストラン。どう考えてもデートだから、少しはそれらしい格好をしないと。
以前、彼女が傷付くことになった事件。そのときに貰ったコート。
あのときのことを思い出すから本当はあまり着たくなかったのだけれど、でもたまに彼女が『あのコートは着ないの?』と聞いてくるから、彼女の前で着ても大丈夫か……と妥協して着ることにした。
待ち合わせの映画館。
彼女は自分より早く来ていた。
ゴメン待った?と言うと、彼女は『待った。青島君、遅すぎ』と不貞腐れた顔をしたが、自分が申し訳ないと思って謝罪すると、『ウソウソ。あたしも今来たところ』と笑った。
その顔を見るとなんだか胸が弾んだ。
それに『うん。やっぱりそのコートいいね』と言われたときは自分でも気持ち悪いほどの笑みを浮かべていたに違いない。
でも、このコートのことを気にしていたのは自分だけだったのか……と、少し恥かしさにも似た気持ちでもあったが。
今人気があるという映画を観て、それから少しカフェでお茶を飲みながら話をした。
彼女と話すことなど日常茶飯的なことなのに、こうも状況が変わると勝手が違うような気がする。
そんな自分とは裏腹に、いつものように話す彼女が少し恨めしくなったが、まあ警戒されていないのはいいことなのか?と胸中で少し自嘲気味に呟いてみたり。
それから予約の時間が来たのでレストランへ。
そして今に至る。
「ここって夜景もきれいなのね。こんなデート久しぶり」
「え?」
思わず耳を疑う。彼女はデートと言ったか?
「デート。違った?」
キョトンと首を傾げて彼女ははっきりと言った。
「ううん!! デートだよ!! うん、デート」
うんうんと頷く。
「ま、青島君はいつもこんなデートしてんでしょうけど」
「は?んなワケないじゃん」
少なくとも彼女への思いを自覚してからはない。
「ホントかしら?」
上目遣いにそう言う彼女が何だか拗ねているように見える。
可愛い。そう思った。
しかし、それを口にすることは憚れる。そんなことを言ったらきっと彼女は照れて機嫌を損ねてしまうだろう。全く彼女は素直じゃないのだから。
「ホントホント。そんな暇がないことくらいすみれさんだって知ってるでしょ?」
苦笑しつつそう言うと、彼女は得心したように、
「ま、そうよね」
と言った。しかし、
「青島君のことだから、上手くやってんじゃないの?」
「あのね〜……」
そう言われるであろうことは何となく予想はしてはいたが、それでも思わず脱力する。
「俺がすみれさん以外の女の人に興味がないって知ってるでしょ?」
なんて少しおちゃらけて言う。まあほとんど本気なのだが。
「あら?そうだったかしら」
なんて素っ気無く言う彼女の耳は少し赤い。
全く可愛いったらありゃしない。
そんなことを胸中で呟いて、笑いながらパスタに手を付ける。
正面を見ればまだほんのり耳が赤く染まった彼女。
そんな彼女を見ながら食べるパスタは格別美味かった。
美味しそうに食事をする彼女を見て改めて思う。
今は少し雰囲気のあるシチュエーションではあるけれど、いつでもどこでも、彼女と一緒の食事は美味いと感じる。
ただこうして、彼女と向かい合って食べるだけでどんなものでも美味く感じる。
それこそラーメンであろうとうどんであろうと定食であろうと。
雰囲気やシチュエーションなんか関係ない。
ただ彼女がいるだけで。彼女と一緒にいるだけで。
特別じゃなくても。
何でも美味く感じるんだ。
end