novel

□Evening glow and life
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 その日は辺りが焼き尽くされたのかと思うほどの夕焼けだった。

 
 ―まるで何かを狂わせるかのような夕焼け―。


 チチはその夕焼けに誘われたようにただ森の中を歩いていた。

 その瞳には何も映してはいない。まるで悟空が死んだ直後のチチの瞳のようだった。

 ただただ歩いて、そこへ行けばあの人に会えるという想いだけが、チチを突き動かしていた。



 森を抜けると見晴らしのいい丘へと抜けた。

 夕焼けで真っ赤になった丘。 
 
 チチはその先へと一歩一歩、足を動かす。


 前方には崖。


 チチはそちらへ向かい、歩みを止めはしない。

(……悟空さ……)

 彼女の会いたい人物の姿はそこには無い。あるわけは無い。

 それでもチチはこの場所へやって来た。

 二人で夕焼けを見に来ていた、二人だけの場所。



『うわぁ、すごい綺麗だべっ!!』

『だろ? チチにも見せてやりてえって思ってさ』

 ヘヘッと笑う悟空の顔が赤かったのは夕日に染まっていたせいか。



 あの時の夕焼けはこの夕焼けと同じくらい赤かった。
 
 でも一つ違うのは、あの時の夕焼けは限りなく優しい赤だったという事。

 今日の夕日もあの時と同じ夕日なのに、どうしてあの人はいないんだろう?

 この夕焼けの中に、あの時隣にいた、愛しい人を見出せない。


(どうしたら悟空さに会える?)

 チチは一歩ずつ前進する。


(……ああ……あの崖の向こうに悟空さがいるんだべ……)

 毒々しいほどに赤い夕日の向こうに悟空がいる。

 チチは得心したように一歩ずつ歩を進める。

(今行くだよ、悟空さ……)


 一歩崖から踏み出したその瞬間、チチの腕を掴むものがあった。


「……ピッ……コロさ……?」

 それはかつて夫の命を狙ったライバル、現在は神と融合し、夫の戦友となり息子の師でもあるピッコロだった。

「貴様、何をしようとした?」

 いつもと同じく低い声。しかしその声にはわずかな戸惑いも含まれていた。

「……悟空さに会いに行こうとしただけだべ……」

 チチは何も映してはいない目で言った。


「……死ぬつもりなのか?」

 その言葉を発するのは躊躇われた。しかしピッコロは言った。

「死ねば悟空さに会えるんだろ?…なら……」

 そう告げるチチは薄っすらと笑みすら浮かべ、妖艶と呼ぶに相応しいほどだった。

「約束したんだべ。おらの所に帰って来るって。帰って来れねえんならおらが行ってやらねばなんねえべ……」

 何も映してはいないチチの瞳。でもそこにはもういない悟空だけを映していた。

「だから行かせてけれ……悟空さの所に逝かせてけれ……」

 堰を切ったように泣き出すチチに、悟空を一蹴していた姿を見出せない。


 ピッコロは強いチチしか知らなかった。

 今ここにいる女は誰なんだ……?


「あの向こうに悟空さがいるんだろ?行かせてけれよ、ピッコロさ……」

「……悟飯はどうするつもりだ?」

 その小さな身体に全てを背負い、その心に、一生消えない傷を負ってしまった愛弟子を思う。

「……悟……飯……ちゃん……」

 愛した人が遺した、愛してやまない息子。

「……おら……悟飯ちゃんを……」

 チチは悟飯を置いていってしまおうとした己の弱さを呪った。

 その存在は絶対。それでも夫を求める自分もいて……。

 
 悟飯への母の愛情と、妻として、一人の女としての悟空への思慕。

 そんなチチの葛藤はいくばかりか。
 

 涙が止まらない。 

 泣き崩れるチチを支えた瞬間、ピッコロはチチの中に何か違和感を感じた。

 これは…この気は…。

「……お前……気付いてはいないのか……?」

 疑問を投げかけるピッコロに、チチは何の事だ?と言う顔で見上げてくる。

「……お前はもう死ねないはずだ。悟飯の為にも……もう一つの命の為にも……」

「……え……?」

 チチはその大きな瞳を丸くした。

「……気付かないのか? 自分の中にある、もう一つの気を」


 ―悟空さっ!!

 
 チチは腹に手を当て、その場に崩れた。

「これでも悟空の所へ逝こうと思うのか? 悟飯を遺して、悟空が遺したその命を奪ってまで、お前は悟空の所へ逝けるのか?」

 ピッコロは弱々しく崩れたその女を見下ろして言った。


「……悟空さ……悟空さあっ!!」

 チチの大きな瞳から涙が絶え間なく流れ出る。そして、その大事なものが宿った腹を抱え、愛しい者の名をずっと呼び続けた。


 毒々しいほどの夕焼けはいつの間にか消え去り、暗闇が迫っていた。

 
 だけど、今なら知っている。

 どんなに暗闇で迷おうと、どんなに立ち止まろうと、明けない夜はない。

 新しい明日がやってくるという事を―。




自分の半身を殺がれた。

もう戻らないだろう自分の半身は、

己の魂を託した存在と、命を紡いだ存在を自分に遺した。

それだけで、自分は、生きていける。

次に会えるその日まで―。


 end
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