novel
□千羽鶴
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「チチ。オメエ、千羽鶴っての作ったことあんのか?」
就寝前、鏡台の前で髪を梳くチチに悟空は言った。
「なんで?」
「いや、何か慣れてんなあって思って」
悟天と一緒に鶴を折るチチの手元は何故か妙に手馴れているように見えた。
目を瞑っていても折れるんじゃないか?悟空がそんな風に感じるほど、チチは慣れた手つきで鶴を次々と折っていく。
(千羽鶴っての、折ったことがあんのかな?)
たどたどしい手つきの悟天とは裏腹に、早く綺麗な鶴を折り上げるチチの姿が妙に気になった。
「あるだよ」
「誰か入院したんか?」
悟空の言葉にチチは苦笑し、
「別に誰かが入院したから折ったわけでねえよ。違う思いを込めたんだ」
「どんなだ?」
悟空は目を瞠り、問いかけた。チチは髪を梳きながら答えた。
「この世が平和になりますようにって」
「平和?」
「んだ。千羽鶴にはな、平和を願う意味もあるんだべ」
鏡越しに見るチチの顔は微笑んでいた。しかし、その顔は少し悲しげに見えた。
「何で……そんな……」
悟空はなんだか言いよどんだが、呟くように言った。
するとチチは目を伏せて少し微笑むと、静かに口を開いた。
「……だって平和になれば、悟空さ戦いに行かなくてもいいだろ?」
「チチ……」
悟空と悟飯が宇宙に行っている間も、悟飯が戻り、悟空は戻って来なかったときも早く帰ってきますようにと願いを込めた。
そして人造人間が襲ってくるまでの修行のときも、こっそりと鶴を折った。
『平和でありますように』
そうあれば、この家も平和でいられる。その想いを込めて。
チチは悟空の方に振り返り、ニッコリと笑うと、
「やっと、おらの願いが叶っただな」
そう言った。
「……すまねえ……オラ、オメエに心配ばっかかけちまった……」
「そんなの今更でねえか。悟空さの心配をするのがおらの仕事みてえなもんだべ」
今は笑いながらそう言うチチも、かつてはその胸を痛め、泣いただろうことは悟空にもわかっていた。
無茶ばかりして大怪我したり死んだり宇宙へ行ったり、心配をかけるだけかけて、意外にも寛大なチチの思いの上に胡坐をかいていたように思う。
二度目に死ぬとき、悟飯に遺した言葉は本音だった。
『いつも勝手ばかり』
『母さんにすまねえって言っといてくれ』
心の底からそう思った。
最期の最期で浮かんだのはチチのことだった。
目の前にいる息子のことも心配だったけれど、それよりも妻のこと。
今まで勝手ばかりで、働きもせずに修行三昧で、そのくせ死んだり宇宙へ行ったり。
その度にチチはその胸を痛めたことだろう。
なのにまたも、チチを苦しめようとしている。
チチが一番辛いと思うことを、悟空はまたもしようとしていた。
悟空は意図せずであったり自らであったり、何度もトラブルに巻き込まれ、それによって家族は離れ離れになることも多々あって。
そんな悟空の傍にいるチチは平和を何よりも望んだ。
平和になれば悟空は戦いの赴くこともないし、悟飯も勉強に集中できる。
それこそが孫家の平和だったのに。
結局は地球は守られても、悟天という新しい命が誕生しても、どんなにこの世が平和になっても、悟空がいなければ、それはチチの望む真の平和ではなかったのかも知れない。
家族四人が揃って初めて、この家に本当の平和が訪れたと言っても過言ではないのかも知れない。
「オラも折るよ。折鶴」
「悟空さが?」
悟空の突然の発言にチチはキョトンと目を瞠る。
「ああ。オラも折る」
「……じゃあ、明日悟天と一緒に折るだか?」
「ああ」
チチは鏡に向き直るとその豊かな黒髪を梳くことを再開させた。
鏡越しに優しく微笑むチチに、悟空はそれまでのチチの苦悩を見た。
自分のせいでしなくてもいい苦労をさせた。哀しませた。
何よりも家庭の平和を望むチチのために一緒に折鶴を折るくらいなんてことない。
千羽だろうと、何羽だって一緒に。
「でもおめえは不器用だから悟天より上手く折れねえんでねえか?」
「そんなのやってみねえとわかんねえだろ?」
「わかるだよ。どうせ力加減が上手くできねえですぐに破っちまうだよ」
「ひっでえな」
クスクスと笑うチチに近付き背後から抱き締める。
するとチチは悟空のその太い腕に頬を寄せた。
腕にあたるチチの吐息はくすぐったくて、そしてあたたかかった。
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