駄文部屋

□filled
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「すみれさん……」
 彼女を抱き締めて彼女の名を囁く。
 
 15年間、ずっと同僚としてやってきた。
 だけど自分の中に燻る彼女への想いと、それに比例するくらいの欲望。
 それをひた隠しにして彼女の傍に居続けた。
 彼女さえ傍にいれば満たされた。彼女さえ自分の傍にいればそれでよかった。
 形なんてどうでもよかった。例え恋人や伴侶という立場でなくても、彼女の傍にいられるだけでよかった。

 だけど、彼女は警察からも自分からも離れようとした。
 昔、被弾したときの後遺症で身体が限界だという。
 自分に黙って全てを決めて、黙って去ろうとした。
 それなのに彼女は自身の身体のことも何もかも二の次にして、自分のピンチを救いに来てくれた。

『……青島くんのことが、心配だったから』
 そう言う彼女の身体を抱き締めて言った。
『辞めないでくれ』と。

 それから彼女は警察に残ることになり、自分たちは気持ちを伝え合った。
 自分がいかに彼女を想っていたか。心の底から大事に思っているか。
 いつもならどんな言葉でもスラスラと出てくる自分が、あんなにも拙い言葉で気持ちを告げるとは彼女自身も思っていなかったようで。
 だからだろうか、余計に気持ちが伝わったと綺麗に微笑んで言ってくれた。
 
 そして彼女もずっと同じ気持ちでいてくれたこと。
 自分に何も言わずに去ることがどれだけ心苦しかったかということを告げられ、自分は切なさと愛しさの入り混じったような、何とも言えない思いで胸が一杯になって、思わず彼女を抱き締めた。

 そして今、彼女は自分の部屋のベッドの上にいる。

 ベッドに腰掛け、俯く彼女をそっと引き寄せる。
 俯き震える彼女の頬の手を添え、顔を上げさせると、伏せた睫毛が揺れた。
 そんな彼女の顔に自分の顔を近付ける。
 初めて触れる彼女の唇。
 まるでファーストキスのようなぎこちなさで彼女の唇に触れた。
 柔らかくて甘くて、キスとはこんなにも気持ちいいものだったのか。

 自分だって今までいくつかの恋を経験してきた。
 いろんな女とキスをしたことも身体を重ねたこともある。
 だけど、こんなにも唇を離すことすら名残惜しいと思ったことなどない。
 
 それでも一度離した唇を首筋に寄せる。
「んっ」
 彼女の甘い声が頭に響く。
 ああ、もう止められない。
 いや、止められるはずもない。何年も何年も、不甲斐ないが為に触れることの出来なかった彼女の身体。
 こんなにも華奢で、こんなにも白くて、こんなにも弱々しい。
 だけど、この細い身体にはどんな男も負けるようなバイタリティーが詰まっていた。
 彼女はどんな女性よりも魅力的で、自分の心を掴んで離さない。

 彼女をゆっくりと押し倒す。
 そして彼女のブラウスのボタンに手をかける。すると彼女の身体がビクッと震えた。
 そして露になる彼女の傷。
 それを見られるのが嫌なのか、彼女は身体を強張らせた。

「すみれさん……」
 そう声をかけると彼女は不安そうな瞳を向けた。
 そんな彼女の唇にキスを落とし、微笑みかける。
 すると少しだけ力を抜いた。

 そして露になった傷にも唇を落とす。
「だめっ」
 抵抗する彼女の傷に再びキスをする。
「やめて……傷は……見ないで……」
 彼女は困ったように目を逸らす。女の身でありながら銃創など身体にあるのだ。見られたくない気持ちもわかる。だが……。
「なに言ってるの?これは名誉の負傷だよ。すみれさんがあの子を守ったっていう、勲章なんだよ」
「青島くん……」

 そうだ。この傷は彼女の刑事としての勲章だ。あの小さな女の子を守った勲章なのだ。
 身体を張って、命がけで。
 何を恥じることがあるのだろう。
 この傷はこんなにも美しいのに。
 
「この傷も……何もかも……君の全部を俺のものにしたい」
「……あおしま……くん……」
 
 瞠った瞳から一筋の涙。その涙すらも全て自分のものにしたい。

 愛してる。愛してる。愛してる。
 
 こんなにも彼女を愛してる。この傷ごと、彼女が愛しい。

 彼女が撃たれたとき、彼女への想いはつり橋理論ではないかとも思った。
 しかし、じっくりと考えて出た結論は、決してつり橋理論ではなかったということ。
 この気持ちは自分でも気が付かないうちからずっと燻っていたものだった。
 ずっと彼女のことは特別な存在だったのに、その思いは同僚、同志としてのものであり、異性としてのものではないと思っていた。
 だけどどんなにじっくり考えても、彼女は特別すぎるのだ。

 自分の気持ちを推し止めてもずっと傍にいたかった。ただそれだけだった。
 ずっと傍にいられるのなら、自分の感情などどうだってよかった。

 何度も何度もキスをする。彼女の唇に。彼女の傷に。
 左肩の傷も、腕の傷も、どちらも自分にとって大事な彼女の一部だ。

 彼女はかつて腕の傷が原因で婚約を破棄したと聞いた。
 当時は彼女に同情した。手に入れるべき女としての幸せを手離さなければならなかったことに対する同情。
 しかし今となってはそうなってくれてよかったとも思う。
 この傷のせいで彼女は心にも大きな傷を負った。しかし、彼女の婚約破棄が無ければ自分たちは出会うことなどなかった。
 そう思うと何だか複雑な気持ちになる。自己嫌悪にも似た気持ちにもなる。
 それでも彼女に出会えた喜びはきっと、自覚のないまま自分の中に満たされていた。
 出会えたことはきっと、奇跡的でありながらも定められた運命なのだとも思う。

「あっ……あおしま、くんっ……」
 彼女の甘い吐息が自分を狂わせる。

 もうこれ以上、我慢する必要などないのだ。彼女は自分のものになってくれたのだ。

 こんな不甲斐ない自分でも彼女は受け入れてくれる。
 こんな小さな身体で、この自分の想いを、熱を受け入れてくれる。

 15年分の想いをぶつけ合う。
 ずっと隠してきた想いを曝け出す。
 
 出会えてよかった。
 
 この腕の中にいる彼女は、まるで自分の為に生まれてきてくれたのだと思える。
 彼女は自分の一部で、自分は彼女の一部なのだ。

 自分たちはお互いにお互いのもの。

 今ならそう信じられる。

 二人の想いと熱で充満する空間。

 そして自分たちは、鼓動も何もかも、ひとつになった―。

 彼女を得たことによって自分の中の足りなかったものも、全て満たされたような気がした。


「……あたし……幸せだわ……」
 自分の鼓動を感じるように胸に耳を寄せ幸せそうに目を閉じる彼女の綺麗な黒髪を撫でる。
「俺の方が幸せだよ」
「あたしの方だもん」
「俺だって」
「あたし」
 負けず嫌いな彼女はどちらが幸せかどうかすら負けたくないらしい。それだけ幸せだと思ってくれるなら心の底から嬉しい。だけどきっと、自分はもっと幸せだ。

「強情だなあ〜すみれさんは」
「なんですって?」
 いつものように茶化すように言うと、彼女は頬を膨らませた。
「こりゃ失敬」

 彼女の常套句を吐いて二人で笑い合ったあと、どちらともなく触れるだけのキスをした。
 
 満たされた想いで胸が一杯になって、何だか視界が歪んだ。

 改めて思う。『生きていてくれてありがとう』と。
 今ここにいてくれて、自分の腕の中にいてくれてありがとうと。

 もう二度と手離せない。手離さない。

 このぬくもりは、ずっとここにある。

 二人で得た幸せだから。もう離れることなどないのだから。


 end

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