兄世代
□ゆめみるゆめこ
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すぅはぁと、整わない息を何とか落ち着かせようとする。
ああ、駄目。無理。どきどきどきどき。
私の内側でずっと鳴りつづける心臓は、治まる気配なんかありゃしない。
顔を上げていると、絶えずジョージくんを探すのにきょろきょろしちゃうし、そんな姿を見られるのはなんだか恥ずかしい。
そう思った私はさっきからずっと俯き加減で、服装の最終チェックを行っていた。
一番の仲良しのレイはすでに彼氏持ち。
今日の事を相談したら、それはもうたくさんのアドバイスをしてくれた。
ホグズミートは基本的に歩きっぱなしだから、滅多に履かないヒールなんか絶対履くな、とか、初デートで超★ミニスカとかショートパンツは、下品だからやめなさい、とか…。(て、いうか!で、デートって、デートってッ!?)(……デート、なのかな、)
悩んだ末の格好は、Aラインのワンピース。
彼の綺麗な赤毛に似たスカーレットのそれは、可愛い小花柄で、裾はフレアに広がって。
靴は踵が殆どない、チョコレート色の甘めなパンプス。
化粧もね、いつもは手抜きばかりの私だけど、今日は頑張ってきたんだよ。
こんなに女の子してる自分が信じられない。
でもね、嫌いじゃないの、こういうの。
ジョージくん、まだかなぁ。
「アリス!」
「っあ、…ジョージ、く……ん…?」
「待たせたな!うっし、行くぞ!うわー、アリス今日の格好似合うな、すげえ美人」
「え、あ、え、あり、がと…。……?」
あれ?おかしい。
現れた赤毛の男の子は、私の手を掴んでぐいと引っ張る。
何だか違う。彼の前に立った時とは違うどきどき。
ジョージくんの前で、こんなに色々考える余裕なんていつもは無いのに。
私、彼の前だと、もっと……。
「ま、まって!あなた、もしかして…「フレッド!!何してんだ!!」…あ、」
「おー、やっと来たか相棒。そんな睨むなって、何もしてないぜ?こっちだってこれからアンジェリーナとデートだからな!」
ぱっと彼、フレッドくんは私の手を放すと、「じゃ、またなーアリスちゃん」とウィンク付きで言っていなくなった。
ジョージくんは不機嫌そうに彼の後姿を見送った後、僕たちも行こう、とだけ行って歩き出してしまう。
私の方、見てくれない。
もしかして、…怒った?
怒ってる。どうして。
どうしたら機嫌直してくれるの?
私に見えるのは彼の背中だけ。追いつこうと頑張っても、足の長さがまず違う。
ピリピリした背中に、手を伸ばす事も、声をかける事もできなくて。
段々離れていく距離が怖い。
このまま、全てが終わってしまいそうだ。
そんなのは嫌だ。私、まだジョージくんに何も言ってない。
今日、言おうと思ってたのに。
どれだけ恥ずかしくても、彼の目を見て、逸らさないで、この、気持ちを。
だから、待って。お願い、置いて行かないで。
「ジョージ、く…っ!」
なんてまあ、タイミングの悪い。
そういえば昨日は雨降ってたんだっけ。
だって足元見てる場合じゃなかったじゃない、私彼を追うのに必死だったんだから。
折角踵がないのを選んできたのに、全くもって無駄だったなあ。
世界が回る。
ずしゃあっと、私は盛大に転んでしまった。
慌てて立ち上がろうとしてひっくり返る。
痛みを感じて見下ろせば、右足首が痛々しく腫れ上がっていた。
“大丈夫?”
そう言ってくれる声を探す。
でも、前を向いても、横を見ても後ろを見ても、大好きな赤は見えなくって。
ああ、行っちゃたんだな、なんて、じくじくする心で思った。
偶然そばにあったベンチに何とか座る。
勿論足は痛いけど、何より心が痛かった。
お気に入りの服は泥まみれ。
ジョージくん、何にも言ってくれなかったな。
この服ね、ショーウィンドウに飾ってあったのに一目惚れしたの。
好きな人と出かける事があるなら、きっとこれを着ていこうって、そう思った。
その機会がこんなに早くめぐってくるなんて、想像もしていなかった。
まさか一回でこんなになっちゃうなんて。
誘われたあの日から、ずっと楽しみにしてたのに。
「……っふ…」
泣くな、泣くな。
これ以上惨めになりたくないの。
私可哀想な子なんだな、なんて思いたくないよ。
足が痛い。心が痛い。
痛いのなんか、大嫌いだ。
「アリス!!!」
「…ふ、ぇ……?」
聞こえるわけがない声に、堪えきれなかった涙が止まる。
そっと顔を上げれば、胸を焦がす人の姿があった。
彼は私の姿を認めると、荒い息を繰り返して、汗のにじむ顔を歪める。
探してくれたの?
そんなに、必死に。
「アリス、ごめん、本当に、……ごめん…ッ」
謝ってもらっても、私は全然嬉しくなかった。
謝らないで欲しい。
悲しい顔をしないで欲しい。
お日さまみたいに、笑ってるあなたが好きだから。
「いい、の、別に、」
「アリス、僕は…っ」
「わたしこそ、ごめ…なさ…。おこらせ、て、…折角の、ほぐずみぃど、だた…のに」
「違う!!」
なおも言いつのろうとする私を遮って、ジョージくんは大声を上げた。
びっくりして彼を見つめると、彼はとても痛そうな顔をした。
彼も何処か怪我をしたんだろうか。
涙はすっかり引いた私は、心配から思い切り立ちあがった。
「――っぁ……!」
その瞬間、忘れていた足首の捻挫に激痛が走る。
ぐらり、と傾いた身体を、ジョージくんが慌てて抱きとめた。
痛みはすぐにはひかなくて、額に脂汗が浮かぶ。
わたし、そんなにひどいころびかたしてたのか。
うめき声が口から漏れた。
「アリス、君、足を……!!」
「だ、じょうぶ、座ってれば、なおるから…」
「……僕の、所為で」
手伝ってもらって座りなおす。
震える声に彼を見れば、瞳は揺れて、泣き出しそうな顔をしていた。
私は大丈夫だよ。
探してくれただけで、戻ってきてくれただけで。
私嬉しいの。幸せなの。
だから、笑って。
「大丈夫だよ、マダムの所に行ったら、すぐ治るから。私ちゃんと下見てなかったから…。わざわざぬかるんでるとこに足突っ込んじゃった。それだけだよ。ジョージくんの所為じゃない」
「……っ、けど、」
「私、もうちょっと休んでるから。ごめん、行って?フレッドくんは…デートだっけ。ミスター ジョーダンとか、探せば見つかる、かも…」
「黙って、アリス」
ジョージくんは強い目で私を見ると、おもむろにしゃがんで背を向けた。
意図するところがまるでわからず、頭に疑問符を浮かべて見つめていると、ほら、早くおぶさって、と彼は言った。
「……っや、いいよ、大丈夫だから!折角なんだから、楽しんできて!」
「折角だから、君といるんだ。早く帰ってマダムに診せよう。悪化したら大変だ」
「……私、…泥まみれで…汚いから。だから、おんぶは、」
「気にしなくていいのに。まあ、そういうなら…」
引き下がってくれたことに、私が安堵の息をつくと、彼は杖を取り出した。
どうしたんだろうと見つめていると、彼が笑う。いつもの笑みで。
私の好きな顔で。
「どう、し、」
「アリス、君は魔女で、僕は魔法使いだろう?」
スコージファイ、彼が優しく唱えると、私の服から泥が消える。
そうだ、そうすればよかったのか。
なんだかちょっと恥ずかしくなる。
「ほら、綺麗だ。大人しくおぶさってくれるだろ?」
「私、重いよ?」
「よく言うよ!さっき支えた時、ほっそいなーって思ったんだぜ?」
背中を向ける彼に、観念しておぶさる。
恥ずかしいけど、温かくて、ほっとする。
揺らさないように気を付けてくれる心遣いが胸にしみる。
僅かな揺れは、心地よさに変わった。
お互い一言もしゃべらないけど、沈黙さえもが……愛おしい。
ホグワーツにつく頃、ぽつりとジョージくんが呟いた。
「今日は、……ごめん。どうかしてた。フレッドが君に話しかけて…。……僕が一番に言おうと思ってたのに、あいつが先に…僕のフリして君を褒めてて、手をつないでるの見たら、…我慢、できなかった。……ごめん」
眠くて朦朧とした頭に、やわらかい彼の声だけが聴こえる。
温かさに溺れてしまいそう。
あのね、これだけきいてほしいの。
ごかいしないで。しっておいて。
「わたし、ね、ジョージくんじゃない、って……わかってた、よ。じょーじ、くんじゃなきゃ……」
いやだとおもった。
いってほしいのは、ひとりだけ。
「アリス、今日の君……すごく、綺麗だ」
ありがとう。
私の意識は、あたたかな海に沈んだ。
ゆめみるゆめこ