鱗詞

□鱗の話
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白髭の猫の話し

 会社帰りの踏み切りで、白髭の猫を拾った。本当の事を言えば、猫はあまり好きでは無い。無いのだがあまりに猫がニャアニャアと五蠅いのと、夜の思い遣りの無い寒さの所以で、思わず連れて帰ってしまったので有る。
 白髭なんぞ生やして居るので、歳を食った猫で有ろうと予想して居たが、話しを聞けばどうもそうでも無いらしい。みすぼらしいだけであったその猫は、本人曰く丁度人間の歳で三十を越えた辺りの妙齢の美女(これも本人がそう言うので有るから仕方が無い。)で有るそうだ。
 猫はその濡れた様な瞳を金色に光らせて私に語り始めた。
 あたしはね、今まで山程恋人が居たの。だから本来ならあんたなんかに構ってやる道理は無いのだけどあんまりあんたが死んだ様な目をしてるものだから、そしてまぁあたしの方も昨日の晩その恋人とは喧嘩したばっかりなものだから、それで仕方無くついて来てやったのよ。
 へえと私が頷くと、猫は満足そうに一声鳴いて、今までの恋人達の話しを始めた。
 今までで一番最高だったのは虎猫よ、あの強引で野蛮な所が魅力的だったわ。女はね、結局ぐいぐい引っ張って行ってくれる男に惚れるのよ。
 それは個人の好みに因るだろうと私は思ったが、何も言わないでおいた。
 後は黒猫もロマンチストで素敵だったわ、あたしムードと言う物に弱いのよ。
 猫が嘲った。耳に響く下品な笑いだった。こうして居ると、相手が猫では無く只の女で有る様な心持ちになって来る。三毛猫山猫斑の猫。毛足の長いのに短いの。家猫に野良猫。様々な猫の話しが生まれては消えた。
 でも最後には皆あたしを棄てるの。猫が静かに言った。
 私の方も掛ける言葉が無くて、自然沈黙が流れると、猫がこちらの顔を覗き込む様に見上げて来た。金色の目が光って居る。
 あんたは?あんたもあたしを棄てるの?
 いや、と私が言うと、猫は重ねて言って来た。
 じゃああたしをあんたの恋人にしてくれる?
 なんて奴だ、猫の分際で人間の恋人になろうと言うのか、と私は内心憤慨したが、もう遅かった。私の目は猫の濡れた様な金色の瞳に捕えられて離れなかった。
 ねえどうなの、猫の尻尾が揺れて居る。
 どうもこうも、と私は思ったが、猫の瞳は只私を捕えて離さなかった。

 何時までも何時までも離さなかった。
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