鱗詞

□鱗の話
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もぐら

 はじまりは私が庭に植えたチューリップの球根だった。赤と黄と白をそれぞれ三つずつ植えた。私は庭仕事があまり得意ではない。よく知識もないがとにかく春にあのカップのような花を咲かせてみたくて買ってきた。球根などに触ったのは実に五十年振りだったから、妙に切なくなったりした。
 本当に咲くのかは分からなかったがとりあえず毎日水をやった。肥料はやらなかった。その方が丈夫に育つと聞いたことがあったからだ。肥料をやったものと比べたことはないから、実際のところどうなのかは分からない。
 土に触れるのも本当に久しぶりだった。夫が死んでから誰も庭に手を入れる者はなかった。私達に子供はなかったので、庭のことを気に掛けてくれる者もなかった。湿った土は意外に暖かかった。あるいは冷たかったのかも分からない。確かなのはただ湿った黒いにおいだけだ。

 ある日球根は芽を出した。九個植えたものの内六個だけだった。これが多いのか少ないのかは分からないが。植えた位置を覚え違えていない限りは赤が二個に黄色が三個に白が一個だった。しかし確かなことは実は分からない。花を咲かせる前に全部駄目になってしまったのだ。ひとつ残らずもぐらにやられてしまった。その残骸を見たとき、知らないものをつかまれたような気がして仕方なくもぐらを捕まえることにした。そのままにしておく訳にいかなかった。

 私は昼夜問わず庭を見張るようになった。軒先からじっとりと、常に庭を睨めつけるのである。はじめは携帯用のトイレを持って来て、そこに用を足した。そのうちに面倒臭くなって、幼児が使うようなおまるを持って来て使った。なかなか便利だった。週のはじめに一週間分の食糧を持って来て部屋に積み上げる。腐れると困るから保存の利くような乾物だとかそのようなものばかりである。
 見張り始めてから半年程が経って、ようやくもぐらなどいないのかも知れないと思い始めた。見張るのをやめようと思ったが、一度身についた習慣をなくすのは難しい。私はおまるでなければ用を足せなくなっていたし、始終庭を睨めつけていなければむずむずして落ち着かなくなっていた。
 悔しくて今度は眠った。こんこんと眠って目を覚ますと、部屋に積み上げていた食糧も何もかもが荒らされていた。

 もぐらが出たのだ、私は嬉しくて嬉しくて、頬を赤く染めながら、また庭を見張りだした。
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