† NOVEL †
□闇夜の哀歌
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狩人はソファに座り、右腕を掴んでいた。
狩人はふらつく足で何とか自分の泊っている宿に戻ってきたが、シャワーを浴びる前に力尽きて、ソファでじっとしたままだった。
右腕が焼けるように熱い。
狩人は濡れたコートとシャツを脱ぎ、右腕の刻印を見た。
そして、目を見開いた。
十字架の周りに何かが絡みついている。
刻印の形が変化するなど、初めてのことだ。
狩人は指先で刻印をなぞり、丹念に調べた。
茨のように見えるが、これが何を意味するのか、狩人にはわからなかった。
調べようにも、ベルモンド家の書斎にはもう何も残っていない。
狩人はある一つの可能性に気づいていたが、信じたくはなかった。
とにかく気分を改めようと、狩人はシャワーを浴びた。
髪を乾かしている時、ドアがノックされた。
「誰だ」
狩人は銃の撃鉄を起こし、ドアに向けた。
「入るぜ」
先ほどの青年だとわかると、狩人は銃を下ろした。
「何だ」
どうやってこの宿を調べたのかは聞かなかった。
ここに帰るまでの間、狩人は疲れ切っていたので、追跡者に気づかなくても不思議はなかった。
「今日で終わりにしよう、シリル」
口調の変化に気づき、狩人は泣きそうな笑いを浮かべた。
「正体を明かす気になった?」
「戦いの前に動揺させちゃいけないと思ったんだ」
エリオも苦笑しながら、狩人の隣に腰を下ろした。
「あの時、貴方は死んだと思ったわ。
私をかばって、倒れたのを見たんだから」
「フィルマンが術をかけたんだ」
二人は途切れ途切れに話した。
七年の空白、そしてその原因の存在はあまりにも大きかった。
二人の目は殺風景な宿ではなく、あの日を見ていた。
「わかるだろ、何の術か。
俺が致命傷を受けた時、その傷が自分にくるようにしていたんだ」
「何故、会いに来てくれなかったの?」
狩人は震える声を押さえながら、慎重に尋ねた。
怒鳴られる覚悟はできていたが、それに耐えられる自信はなかった。
「俺がエヴァルトから受けた傷は強力だった。
俺は二年前まで、ずっと昏睡状態だったんだ」
「もう――大丈夫なの?」
「ああ。
ごめんな、シリル。
目が覚めてすぐに会いに行けば良かった。
だが、自分の感情がコントロール出来るまで会わない方がいいと思ったんだ」
狩人は黙って頷いた。
「エヴァルトに会ったのか?」
「ええ。
あっさりと負けたわ」
「これからどうするんだ」
「彼を追うわ。
それが私の使命だもの」
「そうか」
エリオは所在無げに手をぶらつかせていたが、おもむろに会話を再開した。
「悪魔祓いの奴らがエヴァルト・ソルヴェーグの居場所を突き止めた」
「…そう」
「お前にも来て欲しいって」
「言われなくても行くわ」
「それでいいのか?」
狩人は怪訝な顔でエリオを見た。
「どういうこと?」
狩人の顔から表情が消えた。
エリオにも、狩人が何を考えているのかわからなくなった。
「好きなんだろ、あいつが」
狩人はすぐに笑って否定した。
そのことについては、狩人は何度も考えてきたが、結局答えはでなかったのだ。
もし、あの事件がなかったとしたら――。
そんなことも考えてはみた。
しかし、あの少女時代において、エヴァルトは良き相談相手であり、兄のような存在だった。
あの時点でエヴァルトが何歳だったか分からないが、見た目で言えば既に二十を超えていたと思う。
六歳も離れた相手を、子供が愛情の対象として見るだろうか?
「いいえ。
慕っていたことは認めるけど、愛したことは一度もないわ」
一度も。
そう言った瞬間、心臓が奇妙に圧迫された。
エリオは鋭かった。
「それじゃあ、何でこのペンダントをずっと持っていたんだ」
エリオが差し出したペンダントを見て、狩人は目を見開いた。
「何で――」
「ハーロウが俺に渡したんだ。
これはきっと、お前にとって凄く大切な物だろうからって」
「私はそれを捨ててと言ったのよ」
「そうやって心を殺して、最後には自分も死ぬのか?」
狩人は完全に言葉を失った。
エリオは核心を射抜いたのだ。
「何でわかるんだって顔だな。
――わかるさ」
エリオは狩人が受け取るまで腕を下ろさなかった。
「こんな辛い目にあってきたんだ。
そろそろ解放されてもいいんじゃないか?」
「そんなこと出来ると思う?
彼は私の家族を殺したのよ!
貴方のお父様も、ベルモンド家の人皆も!」
「過去を悔んで、愛した男を殺したって、死んだ人間は生き返らない」
エリオの声は冷静そのものだった。
「もういないんだ。
死んだ奴がこの状況を見て何を想うかなんて、俺たちにはわからない」
何て酷いことを、と思ったが、正論ではあった。
エリオは、思いつきでこの言葉を言ったんじゃない。
それは狩人にも痛いほどわかっていた。
彼もまた、傷つき、ようやく自分の中で答えを見つけたのだ。
「何故、一族が貴方を当主に選ばなかったのか分からないわ」
狩人は顔を歪めて笑ったが、エリオは反らされなかった。
「私が憎いと思わないの?」
エリオの真っ直ぐな視線が痛かった。
いっそのこと、こちらが倒れるまで罵倒してくれればいいのに、と狩人は思う。
「もう――疲れたんだ。
憎んだり後悔したり……もううんざりだ。
俺たちはこんなことをするために生まれてきたんじゃない。
こんな刻印なんかに運命を決められる筋合いはない――そうだろ?」
狩人ははっとした。
「駄目よ、エリオ」
狩人はシャツの裾をめくりあげた。
今度はエリオが立ちすくむ番だった。