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□旅立つ君へ
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――Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.




唄が、聞こえる。








彼女に出会ったのは、随分と前のような気がする。
…正確には、それは気のせいで、出会ったのはつい一週間ほど前。

夕暮れ時。
寂れた公園。
キィ、と、切なく泣き声を上げる、自分の座ったブランコ。

長く伸びた自分の影を眺めていると、ふ、と重なった、誰かの影。
顔をあげれば、そこにいたのが、彼女だった。


「どうしたんですか?早く帰らないと暗くなりますよ?」

白。

彼女の第一印象は、そんな物。
長い白髪は、彼女が違う国の人間なのだと知らせていた。
染めたのでは、ここまで美しい白は出せまい。

そんな事を考えて、ボクは、口を開いた。

「帰るところなんて…ないよ」
「え?」

キョトンと、したような顔。
そんな顔をまじまじと見て、瞳の色も、自分とは違う事を知った、
綺麗な、銀灰色。

じ、と見ていたボクに、彼女は何を思ったのだろう。
ポン、と、手を叩いて。彼女は笑った。

「じゃぁ、私の家に来ますか?」
「え?」

今度は、ボクがキョトンとしてしまう。
彼女は相変わらず笑っている。

「帰る場所がないのなら、私の家に来ますか?あ、私はユキと言います」

どうでしょう?と、差し出された手。
黒いレースの手袋。
秋口にそれはちょっと寒いんじゃないだろうか、なんて考えながら、ボクは自然とその手を取っていた。

……どうせ、帰らなくたってアイツラは心配の欠片もしないに決まっている。

「あ、そうだ。そう云えば、あなたの事はどうやって呼びましょうか?」

ふふ、なんだか誘拐犯みたいですね、私。

なんて笑っている彼女に、ボクはそんなことはない、と心の中で呟いた。
あんな奴らに比べたら。彼女は、ユキは、救世主だ。

「……満」

ぽつりと名を答えながら、この名前に彼女はどんな反応をするだろう、と少し、興味がわく。
アイツも、同じ字なのだから「みつる」とつけてくれればよいものの。

「みちる君って言うんですか?良い名前ですね」
「何処が?」

良い名前、何て言われた事なかった。
まずは、女みたいな名前に皆真っ先に読み方を疑う。
それから、同級生とかは笑った。
笑われるこんな名前を付けたアイツが嫌いになった。

……まぁ、ボクだって、名前一つで親を嫌いになったわけじゃないけど、つまりは要因の一つってわけ。

そんなボクの様子に気付いていないらしい、彼女はピ、と人差し指を立てて告げた。

「満と云う字には、いろいろ意味があります。十分に用意をして機会を待つ、とか、いっぱいになる、とか。後は…物事が絶頂に達したその状態を維持する、と云う意味もあります。そうですね…まとめるなら、幸せになる機会を待ち、幸せを手に入れ満ち足りた際には、その状態が維持できる、と云ったような意味になると思います」

素敵な名前だと思いますよ。と、もう一度笑った彼女に、ボクは知らず、笑っていたらしい。

「やっと、笑いましたね?」

彼女はそう言って、とても嬉しそうにしていた。

だって。そんな、名前に込められた意味まで考えて言ってくれたとは思わなかったのだ。
真剣にそんなことを考えていてくれたのかと思うと、ちょっと嬉しい。



例え、現状が全く正反対だとしても。

母に嫌悪され、義父に暴力、クラスメイトからはいじめを受けて、担任は素知らぬふりをする。
今の僕は不幸の器を目いっぱいに満たして、その状態を維持しているみたいだ。


話しながら歩いているうちにあっという間に彼女の家に着いた。

ご飯を食べて、話して、笑って。
時々けんかもした。

幸せだった。
幸せな、一週間だった。




「みちるくん」

あぁ、彼女が呼んでる。
答えなきゃ。

なのに、体が動かない。

「…ユ……キ?」

口から出た音は、自分のものとは思えないくらい遠くて。

「ごめんね?」

彼女が呟いた。


「……あなたに、『死』を」


差し出された手は、綺麗な白。
そう云えば、一緒に暮らしていたのに、手袋を外した姿は初めてだ。

ふわりと、自分の何かが浮かぶ感覚。
初めての感覚なのに、なぜだか恐怖はまったくなくて。

「きちんと、連れて行ってあげるから、ね?」

その言葉に、素直に頷いた。


感覚が落ちてゆく。
起きているのか、眠っているのか。
上なのか下なのか。

自分が今、生きているのか。

すべての感覚が鈍くなってゆく。

そんな中、確かに聞こえたんだ。


――Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.



透き通る声。
唄っているのは、彼女。

「ユキ」
「みちるくん。私は、死神なんですよ」

彼女はまだ唄っている。

――Te decet hymnus, Deus, in Sion,
et tibi reddetur votum in Jerusalem.


ボクの手を、しっかりと握ったまま。

迷わないように、はぐれないように。
彼女は手を握る理由をそうやって教えてくれたけど。

自分は死神、殺されたも同然、憎いかもしれないけど、我慢して。

そんな事を、言ったけど。


ボクからしたら、やっぱり彼女は天使だった。

真っ白な髪、銀灰色の瞳、ふわりと柔らかな笑み。
手にする手袋も白ければ、本当に天使みたいだと、常々僕は思っていた。

そんな彼女に死の世界へと連れて行かれるなら、やっぱりボクは幸せ者なのだ。
満足げに笑うボクに、彼女は不思議そうに首を傾げれいたけれど、そんなことはお構いなし。

つないだ手に力を込めて(実際力が加わっているのかは知らないけれど、気分の問題)ボクははっきりこう言った。


「ありがとう、ユキ」


一瞬あしを止めて、驚いた顔をして、彼女はまた、笑ってくれる。
どういたしまして、そう呟いて、彼女は再び歩み始めた。

――Exaudi orationem meam

唄はまだ、続いていた。



旅立つ君へ。
(その魂が安らかでありますようにと捧げる鎮魂歌)

End.



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