小説部屋・モノノ怪

□梅雨狭間
1ページ/1ページ

 普段と変わらず箪笥を背負い、ただ町中を歩いていたとある日、気温の変化についていけて無いのか軽く熱中症になってしまった。
 仕方なく立ち寄った旅籠屋。元より泊まる気は無かったが、一番安い部屋を借りた。
 少しふらついた足で手ぬぐいを濡らして部屋に戻り、風通しを良くして横になっていた。
 気付かずに疲れが溜っていたか、急に記憶は無くなり寝てしまっていた。
 起き上がると日差しが柔らかくなりはじめていた。荷物を確認していると、憶えのある足音に扇子の音が、俺に近づいてきた。
「なぁ、あんた。やっぱり媚薬も持ち合わせてんのか?」
ぶっきらぼうに話かけてきたのは、柳幻殃斉。自称呪術師らしい。
 困ったのは、こうして時折俺に付きまとってくると言うことだ。
「ありますよ…」
薬箪笥を開け、仕方なしに見せないと諦めてくれないのは、もうわかっている。
「数種類持っているんだろ?全種類見せてくれないか?」
一体何を考えているんだ?
 目の前に薬を出してやると、珍しそうに眺めてくる。
「もう、いいですか?」
「あぁぁ。待て待て。これ一個貰うよ」
拾い上げた媚薬の代金は確りと貰い、広げた薬をしまっていく。
 お気に入りの娘でも見付けたのか。
「誰でも効くのか?」
「それなりに効くと思いますが、相性がありますから」
頷いているのを見て、いつもの様に薬箪笥を背負い、立ち去るつもりだった。
「あんたの鉄面皮、剥いでやる!」
後ろから羽交い締めにするように、俺に無理矢理さっきの媚薬を飲ませようとしてきた。
 もみくちゃになるように暴れるが、この男、襟を確りと掴み離れない。
 口から軽く手が離れ、息苦しかったから思い切り息を吸った瞬間、口を塞がれ不覚にも飲み込んでしまった。
 咳き込むが、出てくる筈も無い。
「人間らしいとこ、あるんじゃないか」
「…幻殃斉…っ」
「ほらほら。その重そうな薬箪笥、降ろしたらどうだ?」
息を調えるだけで精一杯で、薬箪笥を降ろすなんて出来やしない。
 口元が笑っている幻殃斉が薬箪笥の紐に手をかけて降ろす仕草が、一瞬艶しく見えた。
「意外に重いんだな。これ」
紐に手をかけ、持ち上げた時に袖口から垣間見る、顔付きとは裏腹な筋張った腕に、何処か気丈な頭で目を奪われてしまう。
「じゃ、身共は外に行ってるからな。
 どうやら佐々木殿もここに来ているらしいぞ」
含み笑いを浮かべて、出て行ってしまう。
 思わず胸を撫で下ろすが、困ったものだ。どうやら飲まされた媚薬と相性が悪い訳では無さそうなのだ。
 徐々に熱る体に嫌気が差す。頼むから誰も来るな。
 床に横になったまま、薬の効き目が無くなるのをじっと耐えていた。速効性だ。効き目は大体一刻程度だろう。
 蝉はまだ鳴き始めていない初夏の時期。じわじわと汗ばんでくるのが解る。
 いっそ帯を解いてしまおうか?少しは涼しくなるだろう。
 うつ伏せだった体を仰向けにし一息つくと、ぞくり。と体が反応したのが解った。
 自分の髪が首筋に触れた。それだけなのに反応してしまった。
 飛び起き、体を丸めて落ち着こうとするが、自分の吐息でさえ魅力的に感じてしまう。
「具合でも悪いのか?珍しい…」
聞き覚えのある声。佐々木兵衛か…。
「辛そうだな」
長い髪の間から見える目が俺の事を見てくる。あぁ頼む。見ないでくれ。目を合わせると自我が負けてしまいそうだ。
「水でも持ってきてやるよ」
キシ。と床が軋む。
「今、時間はありますか…?」
とっさに出た言葉がこれだ。俺の頭は何処まで侵されたんだ?
「ま、まぁ…あるが…」
「少し、側に居てくれませんか?」
顔を下に向けたままで頼むと、すぐ後ろで座った音が聞こえた。
 肩越しにそっと見ると、背中合わせになるように座っていた。
「…背中…借ります…」
嫌がる素振りを見せない佐々木の背中に寄りかかる。
 一人で横になっているよりもマシだった。
 背中を借りて暫くしたが、なかなか薬が抜けてくれない。時間が経つのがいやに遅く感じた。
「なぁ、さっきからずっと息が荒いが、本当に大丈夫か?」
「ちょっと…幻殃斉と…」
「あの阿呆か……見たところ、毒盛られた感じじゃないな」
「不覚ですよ…媚薬盛られました…」
正直に喋ってしまうと、佐々木から苦笑いの声が聞こえた。
「立てるか?」
「まぁ…」
背中を合わせたまま立ち上がると、両腕を組まれる。
「よっ」
「わ!」
体を反らせる様に持ち上げられる。最近、反らせるなんてしていなかった。
「次はお前が持ち上げんだよ。薬箪笥背負って歩いてんだ。出来るだろ?」
「できますよ」
交互にそんな事をしていると、今度は向かい合う。
「肩幅ぐらいに足開いて、踵をそこの畳の縁に合わせて」
「…何を?」
「手押し相撲知ってるだろ?負けたら、シッペかデコピンだからな」
佐々木も踵を畳の縁に合わせて、手を軽く上げる。
 大人の男が二人で何をしているんだか。しかし、本気の勝負事。負けてたまるか。
 お互いに裏を掻くように相手の動きを読む。押して良いのは手の平だけ。
 佐々木のフェイントにアッサリと引っかかり、踵が縁から出てしまう。
「はい。お前の負け」
「どっちですか?」
「先ずは腕」
左手を差し出すと、軽く袖を捲り手首よりも上の位置で何度も寸止めの素振りをする。
 嫌なプレッシャーだ。手が振り下ろされる度に体がこわばってしまう。
「痛!!」
「そら、再戦するぞ」
この後ムキになって何回やったかは覚えていない。お互いに手首付近と額に赤い痕を作って笑っていた。
 ひときしり笑うと、今度は手の平を俺に向けてきた。手の平めがけて拳で来いと言う。
 言われたままに、佐々木の手の平に拳を入れていく。
 然程広くない六畳間の中で、足取り軽く逃げる佐々木の手の平を何度も殴る。
 真剣にクタクタになるまでそんな事をして、気付けば二人で汗だくのまま寝転んでいた。
「薬の効き目、切れただろ?」
言われて気付いた。すっかり抜けていた。
「媚薬。っても興奮剤だからな。無我夢中に体を動かせばスグに抜けるさ」
はは。とお互いに笑う。
 こんなに簡単に抜ける方法があるなんて知らなかった。
「あの阿呆に仕返しでもするのか?」
「そうですね。嫌がらせでもするとしますよ」
お互いに笑って、少し無駄な時間を共に過ごして別れた。
 その日の夜、寝静まった幻殃斉の枕元でかなり多目の除虫菊を焚いてやったのは、言うまでもない。
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ