東京喰種 Colos Lie
□2話:グレーゾーン
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漂うのはコーヒーの苦味を含んだ香りではなく、異様な雰囲気だった
目線があったから気まずいというわけではないはず
その時、何が違和感だったかはわからない
他にお客さんがいないこと?
3つ並んでいる時計の針がどれもバラバラな時間に止まっていること?
店員さんの表情?
向こうも驚いた表情をしていたが、すぐに気を取り直したようで、奥の席へと案内してくれた
何をそんなに驚いたのかはわからない
彼女の髪に隠された隻眼が小さく揺らぐが、私たちへと向いて『席・・・こちらへどうぞ』と促す
「あっ、ハイ・・・あ、コーヒーを4つ・・・」
ハイセさんははじかれたようにして指を4本立ててオーダーをお願いすれば、女性店員さんはお辞儀をしてカウンターへと向かう
カウンターへと消えていく前、一瞬だけ視線が私と交わったが、すぐにそらされた
女性店員さんの対応は、感じが悪いというよりは、なんだかひどくそれが私には寂しかった
ハイセさんの正面に座る
彼は自分の鼻がこのお店を導いたことを得意げに自慢するわけでもなく、黙って手元を見ている
普段考え事をするときの仕草をしておらず、右頬に手を当てていないし、魂が抜けたようにぼーっとしている
彼が口を開かないことで、調子が狂った私も示し合わせたかのように口数が少なくなる
この雰囲気を感じ取ったのか、ムツキ君が先ほどの女性店員さんについて話を振ってきてくれたけれども、曖昧にしか答えられなかった気がする
思いつめた表情をしているハイセさんに、ついにはムツキ君も黙ってしまい、テーブル全体が静まり返ってしまう
ムツキ君の不安げな瞳がハイセさんを移す
「・・・・はぁ・・・・」
これではさすがにまずいと思い、口を開いた
しかし、何を話すべきかは全く考えていなく、空気だけが口から漏れる
ため息になってしまった
幸せが逃げちゃうねと言う前に苦笑いが漏れた
しかし、そんな沈黙はすぐに壊される
大型の恐竜かなにかを思わせる大きな足取りが後ろから聞こえてきたからだ
振動が私の座っている椅子にも伝う
背後で止まったかと思えば、店員のお兄さんがズルズルと近くにあった椅子を私とハイセさんの間に乱暴に置いた
誕生日席のような急な配置替えに驚いたけれど、構わず本日の主役のようにどっかりとその店員のお兄さんが着席する
腕組みをしてハイセさんの顔を品定めするように横から見つめている
喰い逃げしないのかと疑うにしても近すぎる上に、威圧感が凄まじい・・・
心配しなくてもこんなプレッシャーの中、とてもじゃないけれどこのお兄さんから逃げられる気は私たちの中にはないはずだった
私がいらない心配をしていれば、さすがのハイセさんもパッと顔をあげて驚いて苦笑いを浮かべた
「あの・・・?あっ・・・注文はコーヒー4つ・・・です・・・??」
明らかにお兄さんは注文を取りに来た態度ではないが、ハイセさんはもう一度オーダーをする
片眉一つ動かしてくれない
接客業に向いていないとは自分で思わないのか、お兄さんはオーダーを復唱することなく沈黙を守っている
自動的に動くロボットなのではないかと疑ったところで、今度は私の方に視線を向けてきた
随分スムーズにこちらを向いてきたため、ロボットではないということはわかったから、そんなに見られると緊張する
そのせいかぎこちない笑みを浮かべてしまう
私も同じようにオーダーをした方がいいのかとハイセさんに目配せをしたが、彼は肩をすくめて『わからない』と首をふった
「あの・・・・、私の顔に何か・・・ついてます?」
もしかしたら、ハイセさんたちは気を使って私に言わなかったような部分があるのかもしれない・・・
リップはみ出てるとか・・・?
まつげにゴミついてる・・・・とか?
まさかと思いながらも私は頬に手を触れたところで、お兄さんに変化が現れた
瞬きをしていなかった瞳がゆっくりと閉じられた後、席をたってカウンターへと戻っていったのだ
一体何がスイッチになったのかはわからなかったけれども、とりあえずホッと胸をなでおろす
森でクマにあったかのような緊張と安堵感だ
こちらが突然動いたり大声を出したりしないと襲ってこないとかなんとか・・・・
叫ばないのを注意する必要は流石になかったけれども、カウンターの方で女性店員さんが叱りつけているような声が聞こえた
あれが一つのおもてなしなのかという案もあったけれども、女性店員さんのこの怒声からするとそうではなかったらしい
ひとまず、女性店員さんも同じように黙って座ってくることがないのには安心だった
ほどなくして、先ほどの女性店員さんが謝罪をしながらコーヒーを持ってきてくれた
「お待たせしました」
可愛らしい布のコースターの上に、白いカップが4つ並べられる
瓶の中にはコーヒー用の砂糖がカランカランと可愛らしく笑っているかのような音
ムツキ君がそれをひとすくいしてコーヒーの中に沈めて、クルクルと回している
「いい匂いですね。わ・・・美味しい・・・麗愛さん・・・?」
「へぇー・・・」
店員さんたちのことが気になりすぎて、まったく自分のカップのことを忘れていた
寒いわけではないけれど震える手を暖めるようにして、カップを握りしめる
芳しい匂いで、その場にあった空気が和むのがわかる
「ホントにアタリだな!サッサンの鼻赫子もダテじゃねーな・・・なっサッサン」
ハイセさんはカップを口から離して、ニッコリと笑ってコースターの上に載せた
「うん。美味し・・・」
ポタリとコースターの上に何かが滲んでいる
『ハイセさん、コーヒーこぼしちゃっていますよ』と笑って指摘をしようとして、私は息を飲んだ
見てはいけないものを見た気がして視線をすぐに逸らした
「・・・あれ・・・??・・・あ・・・あはは。いやぁー美味しいね麗愛ちゃん」
ハイセさんに話をふられたけれども、私はまだ飲んでいない
そんなことより
ハイセさん、何で
何で泣いているんですか?
どす黒い霧をすってしまったような息苦しさを覚える
ハイセさんが部屋でこっそりとみんなにバレないように泣いていたあの涙を知っているからこそ、私の中では彼の涙は特別なものを意味していた
胸の中がモヤモヤしていて気持ちが悪い
私からなかなか返事が来ないからか、ハイセさんは誤魔化すようにして、口元にコーヒーを持っていき、『うん、美味しい』と再び同じ言葉を口にした
「サッサン、大げさすぎ!新手の面白か?」
ケラケラとシラズ君がハイセさんをからかい出すが、ハイセさんの涙はなかなか止まることがない
むしろ前が見えなくなるぐらい潤んでしまっている
「いやぁおかしいな・・・なんだろコレ・・・」
とても綺麗な涙が溢れている
鼻をすすりながら、ハイセさんはようやくカップを置いた
するとそれがわかっていたかのように、女性店員さんがハンカチをハイセさんに差し出した
「あっ・・・す゛みません・・・おいしいです・・・本当に・・・」
差し出されたハンカチをハイセさんは抵抗なく受け取る
「・・・・ありがとうございます」
柔らかな眼差しがハイセさんに送られている
胸が熱いのを冷ますようにして、私は冷たいコーヒーに口をつけて飲むふりをする
彼女は私にも難しかったことを、いとも容易くやってしまったのだ
「すみません、お手洗いをお借りします」
一刻も早くあの空間から逃げ出したくって、私は席を静かに立った
周りに乱雑に置かれていた貝殻や動物の頭蓋骨の標本を素通りして、奥の方へと逃げる