念此茶屋


□二つ色曲水譚
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 自販機や、緑茶サーバーが設置されている、社内ワンフロアに一ヶ所ずつある、経理課から一番近い談話室にて、男二人…少し虚しいのは相手が違うからだ。空になった紙コップを回して遊びながら、ガラス越しの高層ビル群を背に、ハイチェアで足を組む姿も様になっているのが何気に悔しい。

「はい?」

 尋ねるイヅルの片頬が引き攣っている。正面の人物の満面に溢れる笑顔とは対照的である。

「聞こえなかったか?引っ越しシーズン外してまで、探しに探して吟味しまくって引っ越したっていう、てめェん家でこの週末、しこたま呑むぞっつったの」

 強面がウリの顔での満面の笑みは、強迫以外の何物でもない。ギンが越してくるまでは、何人も入れたくなかったし、ギンが来たら来たで、二人きりの、たまにしか甘くならなくても穏やかな生活を他人に踏み荒らされたくなくて断り続けてきたのだが、あまりにも飲みの誘いを断り続けて半年、痺れをきらして、とうとう決定事項伝達という強行手段に出てきたのだ。

「酒なら俺が浴びるほど用意してやる。飲みたいなら一升瓶何本でもいいぜ?そんでも足りないってんなら、酒風呂に入れるくれぇ宅配で送ってやってもいい。だから、引っ越し先の住所、教えろ」

「…徹頭徹尾、命令形ですか。じゃ、僕は緊急措置として、拒否権を発動させて貰います」


 ギンがイヅルのマンションに同居しているのは社内では秘密にしてある。同じ営業部でも部長だけが二人の関係を知っている。営業部長は勿論イヅルが教えていないので、目の前の強面だがお人好しの彼が知らなくて当然だ。しかも、ギンはアルバイトに来ている時は、二重人格かと疑うほどに変わる。察知されない為か、違う理由かは聞いていない。たまに廊下ですれ違う時、たとえ二人きりだったとしても、イヅルにさえ他人行儀な態度を崩さない。(これが『外の顔』なのか…)と、徹底した無関係と無関心を装う姿勢に感心したくらいだ。マンションの中ではたくさんの表情を見せてくれる。そこから駅までの往復や、近所のスーパーマーケットは良いが、それ以外の場所でのギンのパーソナルスペースはとてつもなく広い。喩えイヅルであっても、一歩でも迂闊に踏み込めば、絶対零度の切り刻まれるような冷酷さに震えそうになる。

「何だよ、狭いのか?蚕小屋とか…百葉箱並みに狭いのか?あり得ねぇだろ?それに、お前の自宅だったら、足の踏み場も無ぇくらい散らかってるなんざ、もっとあり得ねぇ。むしろモノ無さそう…あ、コップ一つしか無ぇとか?気にすんな、五脚ぐれぇの立派なヤツ、引っ越し祝いに買って持ってってやるから」

 営業の腕は一流。見た目と違い、人柄も良くおおらか、人望も厚いので、老若男女問わず、社員からの人気は高い。営業社員である以上、空気が読めない訳ではあるまいに、何故イヅルの苦悩を読み取ろうとしてくれないのか…かなり恨めしい気分に陥った。

「……。他言無用でお願いしますよ、先輩?実は今、僕は独り暮らしじゃないんです。だから、相談もしないで、僕の一存だけでは決められないんです」

 いきなり肩に腕を回されて、壁際に追い詰められた。ニンマリ笑顔を寄せてきたと思ったら、鼻先に小指を立てられた。

「何だ、コレか?おま…何時の間に告られたの!?…同僚か?どの部署の娘だ?もう手ェ付けたのか?どんなコだ、あぁ?吐け!さぁ、吐け!」

 更に凶悪さを増したニンマリ笑顔を横目に、イヅルは(あ、そっか。常識的には、男より女、同居より同棲って思われるんだっけ…)と、再認識した。

「この春から大学に通い始めた子です。ウチの女性社員じゃありません」


 話題の『その子』が営業のアルバイトに来ているギンだ、既にイヅルのお気に入りのお手付きだと言ったら、さぞかし驚かれるだろうと、容易に想像出来てしまう。あれはGW過ぎだったか、吐き棄てるように『同性愛者は差別される』と言った時のギンの顔を思い出した。あの時は、即座に否定したイヅルだったが、その後…。

『じゃ、逆に訊くけど、君は男性にしか惹かれない?女性には興味ない?』

『え…?そないなコトない…っちゅうか、興味云々の前に、そないな風に誘ってくるんも抱かせろ言うて来るんも男ばっかやったし、…ボク…女の子からは嫌われとったから、あんま深ァ考えんかった…』

『可愛い女の子や綺麗な女性は、ちゃんと可愛いな、綺麗だな、素敵だな、あ、この娘、スタイルいいなー、可愛いなーって感じるんでしょ?』

『…幾ら何でも、ボクの美的感覚、そこまで壊れてへんのやけど…』



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