ギンイヅ詰め合わせ

□パニックパニック
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爪先立ちで洗面所の棚を漁るイヅルは焦っていた。
「どうしよう、歯ブラシの買い置きがないっ」
終電を逃した日は駅に近い市丸の部屋にイヅルが泊めてもらう機会が多かったし、送ってもらったことは何度もあったが、今日は初めて市丸が泊まりに来る。朝からイヅルの気合の入り方は半端ない。あれがなかった、これも足りない、と既に三回は余計に買い物に出ていた。
「市丸さんのこと、今度から「わりと抜けてる」なんて言うの、止そう…」
泣きかけを通り越した鼻声になっている。
急な用事が出来るかもしれないし買い物に出ている可能性も捨てきれないから、と市丸には合鍵を渡してある。朝一番で連絡して忘れないように念も押した。それでも市丸が来た時に出迎えたいから、先ほどから必死になって探している、という訳だ。
「あ、あった!」
パッケージから出して一度水洗いし、洗面台のガラスの前にあるコップに柄違いの歯ブラシを立てかけた。今にも(一日くらい歯ぁ磨かんでも…)という愚痴が聞こえてきそうで、イヅルは苦笑した。
後ろ手を組んで数歩下がり、並んだ歯ブラシを眺めてみる。市丸の部屋では見慣れた光景が我が家でも再現されるとなると感慨深いものがある。
「毎日使ってくれれば良いのに…なんてね」
前へ出て自分の歯ブラシを指で弾いてみる。カラカラ…と小気味良い音を立て、新品へ勢いよく抱きつくように寄り添った。
「うわあぁっ、そっそんな、そんなつもりじゃなかったんですっ」
廊下まで後退って、壁を背に頭を抱えた。髪をかき乱しながら「ご免なさい」と呪文を唱え続けるイヅルの頭に、小さく軽い物体が乗せられた。
「…何しとん?」
おそるおそる見上げたイヅルの視界に入ってきたのは、洗いざらしのデニム地、屈んでいる所為で垂れ下がったシャツとジャケットの裾…より手前で不思議そうな表情で覗き込んでいる市丸の顔。
「いっつも百面相で面白いなぁ思とったけど、今日はまた何でパニくっとったん?」
贈られたばかりの時計を失くした、といって唐突に市丸の部屋を訪れ、どれだけ家探ししても見付からないと打ちひしがれたり(翌日、やはり市丸に買って貰ったバッグの底から見付かった)、どれだけ待っても待ち合わせ場所に来ないイヅルを迎えに来てみれば、預かった芝居のチケットを友人のプロポーズの為に譲ってしまって向ける顔がないからだ、と泣きじゃくっていたり(芝居が恋愛物ではなかったからか、その友人のプロポーズは失敗した)、とにかくイヅルは思い込みからパニックに陥りやすい。
「えっと…あの…その…」
「まぁ良ぇわ。それ、イヅルが食べてみたい言うとった店のケーキ。買うてきたから茶ぁ淹れて」
話はその時ゆっくり聞かせてもらうから、と笑いながら奥へ消えていく市丸を見送り、イヅルは上げた両手で支えていた箱をそうっと下ろした。生クリームの甘さが抑えられていると評判のケーキ店で、雑誌の中でしか会えなかったロゴが目の前にある。
「甘さ控えめ…僕に甘いのは市丸さんじゃない…か…」
視線を箱へ戻す折に、歯ブラシが隅を掠めた。
「済みませんご免なさい申し訳ありませんっ、断じて不埒なことは…っ」
置いた小箱を器用に避けて廊下をのたうち回るイヅルを、色違いで新品のマグカップを持った市丸は楽しそうに見物していた。
「ほんま面白い…でもって可愛らしい子やなぁ」

2012.11.01

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