ギンイヅ詰め合わせ

□たぬき蕎麦
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夕方の駅ビル喫茶店。窓際の席に向かい合って座る二人連れが、行き交う女性達の熱い視線を集めている。

『TOYSRUS』

市丸は紙ナプキンに書いた7文字のうち、ボールペンの先で数回Rを叩いた。
「今さら記憶力抜群のイヅル君に、どれが鏡文字やったでしょう?訊いたかて愚問やから、」
机に上体を乗り出し、上目遣いでイヅルへ紙ナプキンを滑らせた。どの文字が何の色を当ててみろ、と笑みを深める。
わざと音を立てジュースをストローで吸っていたイヅルは、持っていたグラスを紙ナプキンの上に置く。
「…いくら僕が物覚え良くても、そこまで覚えてる訳ないじゃないですか」
但し、使用されているのは赤、橙、緑。青がミラー文字だったのは確かだ、と滲んだ文字を指で差した。
「ほんま良う覚えとるもんやねぇ」
イヅルを揶揄う為にわざわざ店まで出向いて確認してきた自分とは違う、と市丸は大袈裟に肩を竦めてみせた。
「そうですか?ネタ探しの為だけにおもちゃ屋さんまで行っちゃう貴方の方が、僕よりよっぽど凄いと思いますけど」
無駄に知識ばかり蓄えても行動力が伴わなければ何もならない、と拗ねるイヅルに、市丸は唐突に思い出話を始めた。そう、確かあれは何年か前の同じ季節、この駅のホームでの出来事でした…

『やっぱり冷え込みそうな日は蕎麦に限るよ…ね…』
財布から小銭を取り出して食券機の前に立つイヅルの横から、にゅにゅっと肩越しに手が伸びてきた。
『お兄さん、ついでにボクの分も買うてくれへん?』
腹が減って仕方ない、早く金を入れてくれ、とイヅルにせがむ。どうして見ず知らずの誰かに蕎麦を奢ってやらなければならないのだ、と振り向いて眦を上げたイヅルに、諭吉さんしか連れがいないからだ、と狐顔の男がにっこり微笑んだ。
『取り敢えず何か食わせてくれたら、良ぇトコ飲みに連れてったるから、な?』
最後の「な」で膝カックンされた。慌てて両手を着いたが間に合わず、イヅルは前のめりになって券売機で額を強打した。小銭が落ちて二人の足元に散らばる。火花が散るイヅルの視界の片隅で、白い指先が一番大きな硬貨を拾い上げた。
『キミは何食べたいん?何でも好きなもん言い』

「忘れられる訳ないじゃないですか、だってたぬき蕎麦ですよ?」
どうしたってきつねうどんかきつねそばだと思うでしょう?とイヅルは不貞腐れて窓の外へ視線を逸らした。ちょうど目の前を歩いていたOLがイヅルと目が合った、といって頬を染めている。そのOLに意味ありげな流し目をくれた市丸はイヅルも息を呑むような微笑を浮かべ、ゆっくり立てた親指を下げてやった。
「最低なキツネ男がタヌキ蕎麦やった、って?」
何かを目にした時に先入観を持たずに良く観察するようにしよう、とイヅルが心掛ける切っ掛けになった男は、窓の外から自分の考えに耽るイヅルの横顔に見惚れる女達を凄まじい笑顔で威嚇していた。



2012.10.23

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