ギンイヅ詰め合わせ

□風の中の君が好き
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 後輪の車軸に足を乗せて二人乗りで立ち乗りをしているイヅルが、真っ直ぐ前方を指差して漕ぎ手に大声で元気一杯のエールを送った。
「頑張れ、阿散井君!君の輝かしい未来は、ほら!もうすぐ其処まで来てるよ!」
 イヅルは正面からの心地よい風を受けるだけで、額に汗してペダルを漕ぐ労は払っていない。その代わりにこうしてエールを送り続けている。
「ったく、なんで俺がお前のデートに間に合わせる為に必死んなってチャリ漕がなきゃなんねぇんだよッ、あぁん、吉良!?」
「細かいこと気にしてると生え際後退しちゃうよ?そうでなくても阿散井君、この数年こめかみ付近すごくヤバ気になってきたのにさ」
 付き合いの長い友人の悪態に間の手を入れながら、イヅルは目を閉じて風を感じてみる。
 本日も快晴なり、陽射しも風も爽やかで気持ちが良い。
「でもホント急いでよね。市丸さん待ち草臥れちゃうから」
 両手を肩に置いて注文を付けるイヅルに、阿散井と呼ばれた青年はイヅルを振り返って唾を飛ばす勢いで反論した。
「知らねえよ、んなもん。あんなヤツ、何時間でも鼻の下伸ばさして待たせとけば良いんだよっ!あぁ、狐で長いのは鼻先だっけか。鼻びよ〜ん、だな」
 最後は自分の台詞にウケたのか、空を仰いで豪快に笑い飛ばす。
「…今、凄くムカついた。首絞めて良い?っていうか絞めるよ、今すぐ」
 イヅルは宣言が終わるより先に肩に置いていた手を一瞬で前に回し、スリーパーホールドの要領でクロスさせた。背後さえ取れれば確実に相手を落とすことが出来る技の一つで、痴漢対策の一環として市丸から習ったものだ。
「ちょっ、ヤバいって、吉良!マジ首絞まってっから!お前が惚れた相手はマジで良い人だ!これで良いんだろ!?」
 もがきながらも阿散井のペダルを漕ぐスピードは落ちない。少しだけ気を良くしたイヅルは、元の位置に戻ると大袈裟な溜め息を零して肩を竦めた。
「分かれば良いんだよ、分かれば。素直じゃないよねー、阿散井君」
 かなり本気で絞め上げられていた首を摩りながら、阿散井は小さく愚痴を零した。
「あんな性悪狐のどこが良いんだか…」
「何か言った!?」
「いいえー。何にもー」
「宜しい。あ、そうだ。国道交差点曲がったとこで檜佐木先輩が待機しててくれるから、今日は其処までで良いよ」
 何を着ていこうか迷っているうちに部屋を出る予定時刻を大幅に過ぎて焦りに焦ったイヅルは、家が近い阿散井を呼び出す間に、バイクと二輪免許を持っている檜佐木に連絡を入れておいたのだ。
「はぁ?お前、先輩までデートのパシリに使う気かよ、信じらんねぇ…」
 驚きと呆れが入り交じった阿散井の非難に、イヅルは檜佐木が提示してきた交換条件を呑んだのだ、と苦々しげに告白した。
「市丸さんに買ってもらったゲームソフト、無期限レンタルさせろって。あの檜佐木先輩だから返す気ゼロだよ、絶対」
 デートのたびに、ドライブだ食事だ映画だショッピングだゲーセンだと浮かれていても、イヅルはこの春に大学入学したばかり。年齢的にも遊びたい盛りなのだ。しかも市丸に買ってもらった物となれば愛着も一入で、なんとなくではあるが、阿散井にもイヅルの苦悩のほどが理解できるような気がした。一方のイヅルは阿散井の肩に置いた手に檜佐木への怒りで力が入る。
「痛えっつーの。俺に八つ当たりすんなって」
「あっ、ごめん」
 阿散井が交差点の手前で自転車のギアを落とす。中継地点が近付いてきたのだ。
 此処からバイクで一気に時間短縮を図れば、待ち合わせの時刻を少しオーバーするくらいで済む。イヅルは何度か深呼吸して、檜佐木への怒りを納めた。

 イヅルは路肩でアイドリングしているバイクの真横に停車した自転車から飛び降りた。二人に気付いて片手を挙げた檜佐木が、汗だくな阿散井に笑いかけながらイヅルにフルフェイスのヘルメットを放り投げる。被れ、という合図だ。
「よぉ阿散井、お疲れさん。今度バーガーでも奢ってやる」
「え、マジ?ホントに良いんスか!?とうとう先輩もジリ貧生活とお別れ?」
 グローブを嵌めた手の親指と人差し指で器用にで丸を作ると、檜佐木はヘルメット越しににんまり笑う。
「綺麗なお姉さんのスマイル0円だけどな」
 がっくり肩を落とす阿散井が憐れになったイヅルは、檜佐木より爪の先ほどマシな提案をした。
「そんながっかりしないでよ、阿散井君。そうだ、今度市丸さんが何か美味しいもの食べに連れてってくれたら、余りをパック詰めしてきてあげるから。ね?」
 どちらも要らないと喚きながら、阿散井は来たばかりの道を陽射しに煌めく涙を散らしながら引き返していった。
「いくら何でも、ありゃ酷ぇんじゃねぇの」
「スマイル0円の先輩にだけは言われたくないですね」
 二枚のプラスチックの狭間で激しい火花が散ること数秒。腕時計を確認したイヅルが檜佐木の背中を押す。
「先輩には特別に学食のクーポン差し上げますから、急いで下さいっ!」
 檜佐木が体を翻してバイクに跨がった。先ほどの言い争いなどなかったかのように親指で後部シートを指す。今度は乗れ、という合図だ。
「ちょっと飛ばすから、ちゃあんと良い子で捕まってろよー」
 二、三度アクセルをふかすと、見事なハンドル捌きでいきなり追い越し車線に入る。
 後ろに強い力で引っ張られるような感覚に眩暈を覚えながらも、イヅルは必死で檜佐木にしがみ付いた。
 ―あと少しで逢えるんだ…
 どうしても予定が合わなかった一ヶ月、イヅルは無気力で無為な日々を過ごしていた。声は聞けた。会話も出来た。それでも満たされないから恋なのだ、と電波の向こうで苦く笑う市丸に、一日一時間一分一秒でも早く逢いたくて仕方なかった。逢えない時間に募ったもどかしさは、純粋な愛しさに形を変えた。
 無意識で檜佐木の胴に回した腕に力がこもったらしい。エンジンとは異なる笑いの振動がイヅルに伝わってきた。
 ―ちょっとだけ市丸さんの笑い方と似てるかも…
 ふと頭を過った考えを、イヅルは懸命に振り払った。似ているのは笑い方だけで、話し方も仕種も雰囲気も、何よりイヅルへ向ける微笑が違う。確かにイヅルは先輩にあたる檜佐木に可愛がってもらっているが、それは阿散井も同じ。イヅル限定で優しい市丸とは到底比べられない。
 そのとき、イヅルの体が大きく右に傾いた。アスファルトに膝を擦りそうな恐怖から慌てて立て直そうとして、見覚えのある景色に気付いたイヅルは傾くに身を任せた。
 いつも市丸と待ち合わせている駅前広場にバイクが滑りこむ。見覚えのある車体がイヅルの視界に飛び込んできた。逸る胸が打つ鼓動で、バイクのエンジン音も周囲の喧騒もイヅルの耳には届かない。
 ―市丸さん…
「顔に書いてあんぜ、吉良。『相変わらず格好良いなぁ』ってよ」
 唇を歪ませて笑う檜佐木が揶揄するのも構わず、イヅルは後部シートから降りた。少し足ががくがくしている。よろめく足取りで車に凭れていた市丸の下まで急ぐ。
 ほんの数歩がイヅルにはやけに長く感じられた。途中でヘルメットを取り、ほんの少し前までリアルに感じていた風を受けて目を細める。眩しい陽射しに伏せていた顔を上げ、風になぶられるままに髪を遊ばせる。
「ご免なさい、ちょっと遅刻しちゃいました」
 ご機嫌を窺うような上目遣いに申し訳なさを滲ませるイヅルへ、市丸は黙ったまま笑みを浮かべて顎をしゃくる。はっと気付いてイヅルが振り返ると、檜佐木が「ちゃんと待っててくれて良かったな」と唇の動きだけでイヅルに語りかけてきた。
「ボクも今来たとこやから。それよかあれ。可愛がってくれとる、っちゅう先輩やろ?」
 送ってもらったのならきちんと礼を言っておくよう告げた市丸に、イヅルは本気で不貞腐れてみせた。
「でも、阿散井君も檜佐木先輩もすっごく口が悪いんですよ?」
 イヅルは市丸に背を向け、ここに来るまで彼等にどれだけ罵られたかを報告する。
「二人ともイヅルが大事なんやろ」
 イヅルの相手が、自分のような性根のねじ曲がった男ではなく可愛らしい女の子だったら、彼等も心から協力してくれていた筈だ、と市丸が苦笑すした。
「そんなことっ!」
「良ぇから。とにかくお礼言っとき」
 家を出る時には時間をかけて綺麗にセットしてあったと思われるイヅルの髪を撫でてさりげなく直すと、市丸は渋るイヅルの背中を押した。
 後ろ髪を引かれる思いで何度も市丸を振り返りながら、イヅルは檜佐木の近くまで戻る。
「…ありがとうございました、先輩」
 市丸が一部始終を見ている。イヅルが嫌々ながらも深く腰を折って礼を述べると、檜佐木は市丸に向かって軽く頭を下げてからイヅルに手を上げて走り去っていった。
「ほな、行こか」
 何気ない所作で市丸が助手席のドアを開ける。イヅルは笑顔で頷いてシートに納まった。
「シートベルトしてな」
「はい」
 滑り出した車が優雅にロータリーを一周してから本線に入る。イヅルはハンドルを操る市丸をこっそり盗み見た。
 ―久し振りに見たけど、やっぱり格好良いなぁ、市丸さん
 バックミラーを調節する隙に、市丸も同じように(イヅル、相変わらず可愛いな)と思っているとは考えもしない。
 そういえば今日の予定を聞いていなかった、とイヅルは市丸の横顔に問うた。
「何処に向かってるんですか?」
 一か月ぶりなのだから特に予定は立てていない、一先ず幹線道路に出てから考えるつもりだったからもし行きたいところがあればリクエストしてくれ、と市丸が前方から視線を外さずに微笑む。
 いきなり何処か行きたい場所はあるかと訊かれてイヅルは困った。いつも市丸任せだったからだ。何か浮かばないかとウィンドウ越しの風景を眺めていたら、イヅルは急に今朝から何度も感じた風の心地よさを思い出した。
「僕、今日は阿散井君にチャ…自転車で檜佐木先輩のとこまで送ってもらったんですけど、その時の風がすごく気持ち良かったんです」
 車のボディに反射する光より眩しい笑顔でイヅルが目を細めた。自然に洩れた笑みに悪戯心を擽られた市丸は、素知らぬふりで助手席のウィンドウを全開にする。
「もうっ!急に何するんですか!?」
 風に煽られる髪を必死に押さえるイヅルが涙目で市丸を睨んだ。市丸の欲目を差し引いても可愛らしさが勝って説得力がない。
「あぁ、堪忍な」
 ハンドルから離した手を伸ばした市丸が、イヅルの髪を指で梳きながら謝った。その口調に全く謝る気配が見受けられなかったイヅルは、助手席から身を乗り出すと両手を伸ばして市丸の髪を自分と同じようにくしゃくしゃにした。
「こうなっちゃったら気にならないでしょう?だから市丸さんも窓開けて下さいね」
 イヅルが正面から市丸を見据えて無邪気に笑う。
(ほんま、この子には敵わんわ…)
 ありありと眉を顰めている癖に髪を押さえて風を受けるイヅルに微笑して、市丸は頭に叩き込んでおいたナビを呼び出す。
 市丸の中で、今日のデートは自然満喫コースに決定した。取り敢えず昼食は緑に囲まれていて、直接肌に風を感じられる店にしよう、と市丸はハンドルを切った。


2012.8.9

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