ギンイヅ詰め合わせ

□フロス日和
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鏡の前に立って大きく口を開き、懸命に奥まで指を入れているイヅルの横で、機嫌よく電動モーターの音を響かせながら歯を磨き終えたギンが、肩越しに覗きこんだ。
「んな頑張ったったって、虫歯んなる時はなるやろ?」
「ほんはほほはいへふよ?」
「……は?」
ギンは状況と響きから、イヅルの発した不思議語の内容を推測してみた。微かに非難を含んだ眼差しから『そんなことないですよ』しか有り得ない。
「まぁな。確かに気休めっちゅうかプラシーボ効果はあるかもしれん。歯やけど」
虫歯対策にと買ってきた電動歯ブラシを眺めながら、ギンはイヅルの一連の歯磨きが終わるのを待った。
「僕の方が時間がかかるんですから、突っ立って待ってるくらいなら、市丸さんもフロスしたらよかったのに」
「ええー、嫌や、あれ。おえ〜ってなるんやもん」
何度もコツを教えたではないか、とイヅルは眉を顰める。なんでも大概はそつなくこなすギンだが、どうもフロスだけは何時まで経っても馴染めないらしい。
「市丸さんが虫歯になっても僕は痛くないから構いませんけど、」
「そない言うけど、泣きそうなんはイヅルやん」
確かに痛いのはギンだ。だが、痛がるギンを見ているイヅルの方が辛そうな表情をする。だからギンは電動歯ブラシを買ってきたのだ。ちなみにお揃いで買ってきたイヅルの分は一度も箱から出されず、ベッドサイドの抽斗に大事にしまわれている。
「そうかもしれませんけど!でも!」
思い出して気恥ずかしいのか、イヅルはギンに背を向けて俯いてしまった。
「…嫌ですからね」
「はい?」
「虫歯の人とキスするのは嫌だって言ったんです」
そんな殺生な…とギンはイヅルに追い縋る。一度イヅルが決めたらテコでも動かなくなるからだ。今のうちに撤回してもらわなければ、当分ギンからキスが出来なくなる。
回りこむギンから逃げるイヅルを正面に捉えようと必死になっていたギンは、ふと数日前を思い出して足を止めた。
「こないだ酔っ払った時も、こないしてイヅル怒っとったよな」
「あっ、あれは市丸さんが全面的に悪いんですからね!」

酔って帰ってきたギンになんとか自力でベッドまで歩いてもらおう、とイヅルは打てる手を全て尽くしたが、ギンは玄関の叩きから動かない。痺れを切らしたイヅルは、クリーニングから帰ってきたばかりのワイシャツを抱えてきた。
『ちゃんと布団で寝てくれないなら、これ捨てちゃいますからね!』
虚ろな目で見上げるギンに、イヅルは追い打ちをかけた。
『シャツなしでネクタイしてったら良いじゃないですか。市丸さんなら格好良いと思いますよ、裸ネクタイ』
酔いのまわった頭でぼんやり想像した『裸ネクタイ』姿の自分が、リビングへ立ち去るイヅルの後ろ姿を重なった。
そして、きっと裸ネクタイなどといったふざけた格好で出掛けた自分の下へ、イヅルは二度と帰ってきてくれない、顔を合わせても他人のふりをされる…
『ちょっ、ちゃんとベッド行くから!』
一気に酔いが醒めた。イヅルの足にしがみ付いて、どこにも行かないでくれと懇願したのは記憶に新しい。

頑固さにかけてはイヅルの方が何枚も上手なのである。言葉巧みに丸めこむのはギンの十八番で得意技だが、そうそうイヅルも騙されてばかりはいない。実際にギンは裸ネクタイ出勤の危機を何度も乗り越えてきたのである。
こんなやり取りをしていると、あくまでも自分達は対等なのだと実感できて、妙にギンは嬉しくなる。
「また途中で投げ出すかもしれんけど、フロス教え直してもらえる、イヅル?」
仕方ない人ですね、と肩を竦めてフロスに手を伸ばすイヅルに背後から抱き付いたギンは、鳩尾に痛くて重い一発を食らった。
「…どうせ禁止って言ったって、我慢する気ないんでしょう?」
振り向いたイヅルは腹を押さえているギンの襟を掴むと、ご褒美として前払いに軽くキスをした。


2013.2.13

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