ギンイヅ詰め合わせ

□再来年も22年後も
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いつものように一緒に飲みに行ってから屋台のラーメンを食べた市丸と別れたイヅルは、澄んだ夜空を見上げた。吐く息が白く夜空に吸い込まれていく。
「もうすぐ朔なんだ」
昼夜問わず空を見上げる習慣がついた。肩を並べて歩けば、流れる雲の形を何かに例えたり、翌日の天気を占ったりする。
イヅルが月齢ごとの呼称を覚えたのも市丸の影響だ。
「小望月、望月、十六夜、立待ち、居待ち、臥し待ち月…」
雲間に月を探したイヅルは、去年の寒かった夜を思い出した。


あれは付き合い始めて間もない頃。
「何があるんですか…というか、本気で寒いです」
良い物を見せてやれる筈だから出てこないか、と市丸に呼び出されたイヅルは、呼び出した当人より重装備だった。「まぁ、待っとり。もうじき始まるから」
「だから何が…」
寒さと時計を気にする市丸に痺れを切らしたイヅルが踵を返そうとしたとき、市丸がイヅルのコートの裾を引っ張った。
「ほら、始まった」
闇に浮かぶ指の差す先へ訝しげな視線を動かしたイヅルは、ほんの僅か欠けた月を見付けた。
「これって…月食、ですよね」
数年ぶりの好条件での皆既月食だとニュースになっていたのに知らなかったのか、と市丸が呆れた。
「興味がなかったので」
素っ気なく答えたイヅルは、頬に当てられた冷たい感触に驚いて飛び上がった。
「何するんですかっ」
「え?月見やから、酒」
笑う市丸が自分の缶ビールのプルを引く。旨そうに一口飲んでから立ったままのイヅルを座らせると、何処に隠し持っていたのか、市丸がコンビニで買ってきて間がないらしい温かいおでんをイヅルへ勧めた。
「次の月食はイヅルから誘ってぇな」
目の高さに缶を掲げ、皆既月食なら三年後の十月だから、と悪戯っぽく笑う。
「でも、なんで月食限定なんです?天体ショーなら、別に日食でも良いじゃないですか」
訳が分からないと首を傾げるイヅルに、昼間は一緒にゆっくり空を見上げる時間が取れないからだ、と市丸は苦笑した。
「ほんでも、一番イヅルと一緒に見たいなぁっちゅうんは、ほんまに極大んなった時のしし座流星群やろか。やっぱ寒い時期やから、おでんと…熱燗が良ぇ?」
流星群が極大とはどういう意味だろう、と考え込んでいたイヅルは、額に当たる微かに濡れた感触に顔を上げ、目を見開いた。微笑を浮かべて離れていく市丸の唇が、イヅルに『ずっと先』まで続く約束を乞う。
「星が降るん。何でも願い事が叶う魔法の夜や。えーっと…あと22年後?」
市丸がさらっと口にした『22年』が、イヅルをどれだけ満ち足りた気持ちにさせたか、言った本人は気付いていたのだろうか。


市丸の口から『魔法の夜』などというファンシーな言葉が出たのは、あの晩の一度きりだった。そう考えると、なかなか得難い経験をしたな、と妙に感慨深くなる。
「再来年はともかく、22年後に自分が何歳になってるか、なんて絶対に考えてなかったよね、市丸さん」
笑いが零れ、白い息と共に夜空に吸い込まれていく。
酔いと満腹感に任せて背が丸くなりそうな寒さを振り切り、イヅルは大きく伸びをして空を仰いだ。
「20年後も傍に居て良いなんて、まるでプロポーズみたい」
ね?と、ようやく見付けてイヅルが同意を求めた月は、脳裡に浮かべた想い人の口許に似た弧を描いていた。


2012.11.12

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