パラレル番外地

□ハチャメチャ迷彩色
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 * * *


「嫁…探しィ!?」

 午後一の三限目、大教室最前列の窓際。柔らかな昼の陽射しに、夢の国からの魅惑的なお誘いにうっかり手を取ってしまいそうな中、教授手作りの指定教科書をぼんやり眺めて、大あくびをしていた矢先の発言に、ギンは顎を外しかけ、舌を噛んでしまった。

「…声が大きい」

 秀麗な眉を寄せた顔が不機嫌を露にしている。横に座っている、美術造形品かと見紛うように整った顔立ちの友人が、唇に人差し指を立て、視線を正面に移した。つられて正面を見たギンの眉間目掛けて、何かが飛んできた。

 反射的に机に突っ伏して避けた。カツッと、少しだけ高い後ろの席の机前面の板に、何かが当たった鋭い音がした。

「な…何なん?」

 伏せた体勢から視線をずらしていく。背後から何かが生えて、一瞬前までギンの頭があった位置に長い棒らしき物があるのだ。その先端から糸が伸びている。それが、何故か常識に反した伸縮機能を備えているレーザーポインターだと気付いた時、糸を握る人物が口を開いた。

「そないにオレの講義は詰まらんか?何処が面白ないんか詳しく教えろや、なぁ、市丸〜ぅ?」

 ポケットから取り出したリールで釣糸を巻き取りながら、泣き真似をする。

「俺かて眠うてしゃァないトコ、我慢しておどれ等二人の為にかったる〜い授業、続けたっとんのやぞ?お前らも他の奴等みたいにバックレるかフケるかしよったら、今頃研究室で優雅にお昼寝タ〜イム♪入っとれたっちゅってんねん…って聞いとんのかいっ!」

 泣き言とも愚痴とも取れる台詞に背後を振り向くと、大教室には本当に二人しか居なかった。ギンは唖然として言葉を失った。講義開始時には五分の一は居た他の学生達は、何時の間にか忽然と姿を消していた。とうの昔に気付いていたらしいもう一人が、突き刺さっていたポインターを抜き取る。

「だからと言って、大学からの支給品を改造した挙げ句、先端に鋭利に尖った物を取り付ける行為は解せぬな…」

 「…黙れや、ボンボン。一回あの世見学行っとくかぁ?ご案内は、片道コースのみとなっておりま〜すっと」

 大教室のプロジェクタースクリーンには、曼陀羅が写し出されている。教授を含めて三人だけの教室は、極楽浄土というより地獄絵図の様相を呈してきた。

「…大教室、男三人、昼下がり」

 さも、この不条理が悲しくて堪らないと洩らした准教授の呟きに続ける。

「ゼミと変わらぬ」

「顔馴染み哉。字余り」

 それが合図となり、教授はスクリーンや他の教材を、御曹司とギンも片付けを始めた。何回目か分からない恒例のやり取りの後は、やはり恒例になっているカフェテラスでのお喋りに移るのだ。

「まぁ、何や?『嫁探し』とやらの詳しい話でも、じっくり聞かせてもらおやないか?人生相談コーナーやからな、茶ぁでもシバきながら、俺様が妙案授けたろやないけ。やからお前らの奢りやぞ?茶ぁ一杯で御高説聞かせたるんやから、泣いて喜べ」


 * * *


 准教授は実物大の曼陀羅のコピーを丸めて、教壇から放り投げた。運べ、という意味だ。自分は尻のポケットから取り出したハンチング帽を被ると、ポケットに手を突っ込んで、小脇にカバンを挟む。背中は丸めていても、人柄そのもののように、廊下のど真ん中を悠然と歩き始める。

「で?わざわざお金持ち御用達エレベーター私学蹴って、貧乏人のガッコに嫁探ししに来ました〜、て聞こえたんは、俺の空耳なんかァ?」

 他の教室は、まだ授業も半分を過ぎたかどうか、という時間である。この准教授の癖のある高めの大阪弁は、天井が高い廊下に良く響く。

「先生、声デカいで?」

「あーハイハイ。奨学金や給付金ボッタクリの優等生の市丸クンには頭上がりませんわ、っと」

 無利子の奨学金や、返済の不必要な給付金の多さで、大学を選んだことは否定しない。准教授の言葉ではないが、ギンは各種奨学金、給付金を受ける為に、出席と一定以上の成績を維持している。夏季休業前に行われる定期試験以外の不定期抜き打ち試験でも、ギンは手を抜けない。その苦労を『ボッタクリの優等生』呼ばわりされるとは…。

 静かに俯き、首を振った若君に肩を叩かれ、慰められた。揶揄われたぐらいで落ち込んでいてはやっていけない、と、伏せ気味の涼しげな眼が語っている。この後の教授のターゲットは若君なのだ。覚悟を決めて、すべてを諦めた面差しをしていた。

「…そうやね」

 抱えた教材がずっしりと肩に、腕に食い込む。自然に足取りも重くなる。確かに講義内容は専攻から離れている分、面白いし進行もテンポが小気味良い。ゼミに至ってはディベートに熱がこもるほどの巧妙な野次を飛ばす業師だ。要するに、学生達の『ヤル気』を引き出すのが格段に上手い。

 常日頃から『講義の聴講率が低いのは、学生の理解力と想像力、独創性の無さが原因』と豪語して憚らない教授だ。一般教養とゼミの両方を選択している若君とギンにしてみれば、これほど楽しく面白い講義をフケる学生の気が知れないのだが、それを准教授本人の耳に入れるようなヘマはしない。図に乗るのは、火を見るより明らかだからだ。

「チャチャッと準備室放り込んどいてくれや」

 ソファーにふんぞり返って命令しているように見えて、実は届いていた封書や提出されたレポートに目を通している。『遊びたければ、先に仕事を済ませる』モットーも尊敬出来る。

「…なんやぁ、コレ?コケにしとるんか…?」

 と、胸に秘めておけば良い感想を口に出さなければ、の話だ。尊敬出来る、素晴らしい部分が一つあれば、マイナス点がもれなく三つほどついてくる。

 片付け終わったのを認めると、手にしていたレポートを机に放り出した。お手製の『読む価値皆無』の判子を捺した。

「ほな、茶ぁシバきに行こかぁ〜?」


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